今日は林香里さんの本の第2回目。要約はM田さん、コメンテーターはF本さんとH山さん。
今日のテーマは何故冬ソナがあれほど中高年の女性に指示を受けたのか、という分析。林さんは様々な角度からその可能性を探っているが、特に僕が重要と思ったのは「女性が家族の付き合いではなく、自分の好みで一人で視聴する」習慣が根付いたことと、「純愛」をそのまま素直に受け入れる素地が彼女たちに備わっていたこと、ヨン様ことペ・ヨンジュンが演じるキャラクターが「女性性」というか、攻撃的な「雄」ではなかったこと、韓国社会の複雑な事情や時代背景を捨象した「普遍的」なドラマ作りに感情移入しやすかったこと、などがあげられるだろう。もう一つ重要なのは、いわゆる「2ちゃんねらー」がペ・ヨンジュン及びその支持層である中高年女性に対して攻撃的だったことも俎上に載せられている。
そこでTさんから「どうしてこんなに2ちゃんねらーはヨン様及びファンを目の敵にしたのか」という素朴且つ重要な問題提起がなされ、A部くんやN山さんの答えを補うべく、北田さんの本を紹介して「ネタ的なコミュニケーション形式」やら「ロマン主義的なシニシズム」だとか、「陰謀論による処理」だとか、そういう言葉で説明を試みる。
その後、コメンテーターのお二人から問題提起がなされるが、偶然二人とも「純愛の冬ソナ」と「ドロドロの昼ドラ」を対比して、何故中高年女性(主に主婦)はこれらを「同時に」享受できるのか、という疑問が呈された。それに対しTさんが「二つのドラマの需要層は違うのではないか(中高年といっても一枚岩ではなく2派に分かれているのでは)?」と質問し、A部くんも本屋でアルバイトしている経験から、ある種の本(極端なものだとハーレクインとか、「実録嫁姑もの」とか)を買う層というのはくっきり分かれていると証言した。
そして僕は上記の林さんの「一人でテレビを見る」という分析に触発されて、昼ドラも主に専業主婦が誰にも邪魔されず堂々と見ることができるからこそどぎつい描写が許されるのではないか、と指摘した。また、昼ドラも毎回のめり込むように視聴するものは少なく、例えば洗い物のBGV代わりに流れている、という消費のされ方の可能性なども指摘された。あと、K浦さんからは「韓国ドラマはタイでも人気がある」だとか「日本のドラマ『大奥』が韓国で人気」というレアな情報を聞く(東亜日報とかにそういう記事があるそうな。僕はまだ調べてないけど)。そのようなドラマの拡がりは、やはりアジアの「連続性」を感じさせる話ではあるな(具体的には「親孝行」のような話形が受け入れられるとか)。
ゼミの後はK山さんとF田さんの簡単な卒論相談。戦前の小学校の教科書を調べたい、というK山さんには、とにかく「現物」を手に触れる機会がある場所(資料館、図書館、教育系の大学、博物館)を調べるように指示。実際読んでみないと判らないしね。
京都の地蔵盆の変化を追いたいといっているF田さんには、早いうちから関係するお寺にアプローチを取り、インタビューを済ませておくこと、夏に調べさせてもらう候補地をお寺の協力のもと目星をつけておくこと、質問を考えておくことなどを指示。
そしてそのまま、就職内定が出た学生たちで、北山の焼き肉屋で乾杯(このところ飲み過ぎ)。
- 2008/04/29(火) 00:10:36|
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今日から、大学院ゼミも、学部ゼミも本格的に開始。
大学院ゼミでは、近代日本の「民衆史」の分野を再考する、というテーマで、まずは安丸良夫先生の本を輪読。
初っぱなから、織豊政権から近世の「天皇」の地位を巡る学説史のような部分で、結構ハード(自分で選んでおいて何だが)。要約担当のY本くん、ご苦労様。僕としては、安丸先生が引用されている社会学や人類学の文献の解説に大わらわ(史学専攻の諸君は、少しこういう分野には疎かろうと思ったので)。
結局「時間切れ」で大学院ゼミは終わり、今度は連続して学部ゼミ。学部ゼミでは、いわゆるカルチュラル・スタディーズ(僕はこの言葉を最近は避けて、敢えて「文化研究」という直訳を用いているが)を考えようと言うことで、やはり「韓流」分析に手を出してしまう。まずは、林さんのこの新書からスタート。
要約担当はK沼さん、コメンテーターはK平さんとF井さん。
まず、注目すべきは、この「冬ソナ」ブームとは、この本が示すように、これまでマーケティングでも無視されがちだった中高年の女性が消費の「主役」になったことである。そして、彼女たちは世代的に「専業主婦」になる率が高く、且つ「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」を非常に内面化している、という世代でもある。この上記の点は、非常に重要だと僕も思う。少なくとも、若いイケメンに入れあげているオバタリアン、などという図式は、ミソジニー丸出しの週刊誌の見出しに過ぎず、実情はもっと「慎ましやか」だ。それだからこそ、あのような「純愛」が広範な支持を得たのである。
今日はついつい僕がまた喋りすぎてしまったが、来週からは学生諸君の積極的な発言をもっと期待したい。ゼミが終わったあと、N山さんが「ゼミのおかげで、就活の時のグループ面接、けっこう上手いことこなせました」と嬉しいことを言ってくれたが、じゃあ、N山さんは去年の卒業生のしゃけとかT野さんとかに感謝しないといけないよね(笑)。
- 2008/04/21(月) 23:46:31|
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今日から、今年度のゼミが開始。
「少し人数制限をかけるかも知れないぞ」「高い本を買いまくるぞ」「第一希望以外は来てくれるな」という、思えば非常に
高飛車な態度に出たせいで、予想よりも少し人数は少なめ(といっても、約17名ほどだが)。
今日はまずゼミの進め方の説明をして、初対面(に近い)人も結構いたので自己紹介させて(2名ほどは僕の授業を初めて取った学生だったし)、そのあととりあえず読む課題図書の要約・コメンテーターを決めて、30分ほどで解散。担当者を決めるのに、結構時間が掛かるかと思ったのだが、予想以上にみなさん、素直。
まだ時間のある学生(A部くん、K川くん、F原くん、K沼さん、I上ゼミのTさん、Eくん)をそのまま僕の研究室に呼んで、本日卒業生のI居君(ありがとう、おいしくいただきました!!)から届いたお菓子をつまみつつ雑談。彼等から就職活動の厳しさ、恐ろしさを聞くにつけ、そういう世界で揉まれたことのない自分のひ弱さを思い知る。そのままみんなで熊本ラーメンのお店「味千」に赴き(行く道すがら、偶然AK根くんを捕捉)、夕食。ラーメン程度だったので、僕がおごってあげる。少し財布の中身が寂しくなったが、どっちにしたって定期券を買うために近々お金をおろさねばならぬから、まあいいや。
というわけで、今年も始まりました。
みなさん、どうぞ宜しく。楽しく勉強し、お互い教え合っていきましょう。
- 2008/04/14(月) 21:52:48|
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今日、ようやくゼミの最終レポートがほぼ全て到着した。連休というものがあって、命拾いした諸君もいるだろうけど、それはもう問わない。出されたレポート一覧は以下の通り。
3年生
○戦国・織豊期の都市と人々―イエズス会宣教師の視点から―
○戦隊ヒーローにおける女性―不動の赤と、変化するピンク―
○戦争犯罪の原因
○小学校における歴史教科書の移り変わり―明治から終戦まで―
○現代社会における化粧の意味
○源信の『往生要集』とそれに基づく地獄絵における「地獄」
○アメリカの原理主義
○青年期のアイデンティティ達成に影響を与える日本人の精神性
○『米欧回覧実記』における近代日本人のフランス文化観
○現代の地蔵盆の在り方について―市内の地蔵盆を中心に―
○近代アイルランド人の言語的アイデンティティ
4年生
○「世界連邦運動」―その歴史と現状―
○犯罪に見る現代の少年の対人感情・対人関係について
○報道傾向から見る各マスメディアのスポーツに対する価値観の違い―ジダンの頭突き事件とそれを巡る報道からの一考察―
○マンガのなかのジェンダー観
○『春色梅児誉美』以下人情本における人物造形の特徴
○ジャーナリズムの「職業倫理」を模索する―事件報道に見る発達障害―
○近代小学校における洋装化の過程―京都市を例にして―
○「国家神道」の成立と民衆への影響
○日本におけるジャズ言説―70年代から現在まで―
さて、これからこれらのレポートにページ番号を振って、冊子にする準備をせねば。結構今年は人数も多いし、力作及び卒論を圧縮することができなかったのが多いので、ページ数は過去最大になる予定。予算、大丈夫か心配になってきた(自分の講座費をちょっとプールしているんだけどね)。
冊子が完成したら、また皆さんには連絡します。
- 2008/02/12(火) 17:00:49|
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今日は、2007年度最後の学部ゼミ。もうすぐテスト前でみんなも忙しいし、
僕も早く授業から解放されたいという下心で、来週を休みにして、ダブルヘッダーを組んでしまう。
今日の発表はK浦さんとK山さん。
まずはK浦さんの発表だが、彼女が発表者のくせに遅刻したので(僕のゼミでは、原則発表者及びコメンテーターの遅刻・ドタキャンは認めません。当たり前だが)、その説教からスタートという、僕にとっては不本意な開始(最後の最後で、こういうしょーもないことで説教させるんじゃないよ・・・バカバカしい)。彼女の発表は
「現代社会における化粧の意味」というもの。このタイトルが、内容の全てをある意味語っているとも言えるのだが、社会心理学方面から行われた化粧に関する実験とその結果をある書物から幾つか紹介して(その本一冊に頼りすぎたのも、ちょっと今回の発表の瑕疵)、化粧の社会性をどのように考えるか、というのが彼女の発表の目的だった、と思うのだが、残念ながら、今日は先行研究の要約だけで終わってしまい、それに対する彼女の意見が殆ど見られなかったのが惜しまれる。ただし、「化粧」という題材ゆえに、女子が結構議論を白熱させてくれた(笑)。バイト先での化粧のコードはこうだったとか、就職活動の時はこうしたとか、寝坊してノーメークで大学に向かう時はつい電車の中で俯きがちになってしまうとか、飲み屋で見知らぬオッサンに
「もっとちゃんと化粧しろ」とか余計なこと言われたとか、そういう体験談はボロボロ出てくる。僕としては、その体験談を貫いている「何か」にまで突っ込んで欲しかったが、なかなかそうもいかない(僕自身も、良くその正体はわからない)。コメンテーターのH川君から「化粧が虚飾と見える時はどんなときか」というような問題提起がなされたが、僕がそれをあまりにも主観的すぎるし、汚い素顔を晒して平気な男のジェンダーの上にあぐらをかいた意見だとたしなめてしまう(どうしても「化粧」という営みはジェンダー的なものを抜きにして語ることは出来ない)。
K山さんの発表は
「小学校における歴史教科書の移り変わり―明治から終戦まで―」というもの。彼女は元々日韓の歴史教科書問題に関心を持っていたのだが、そもそも日本の歴史教科書はどのように変化していったのか、という方面に関心をシフトして、こういう今回のような発表を行うことになった。まず明治から昭和初期までの小学校制度の変遷を追い、その後、歴史教育の変遷を追うという構成だった。僕も知らなかったのだが、戦前の歴史教科書も最初は国定ではなく、国定になったのは明治末期だったそうだ(しかも、教科書会社と文部省の間の贈収賄事件が絡んでいたらしい。昔からしょうがないよなあ)。戦前の小学校における歴史教育は当然ながら「日本史(国史、という名称に大正デモクラシー期に変更されたことにも注意が必要)」中心で、天皇家中心の「人物評伝(紀伝体的なものだろう)」が中心であったそうな(ヘルベルト学派というのがあって、この学派が歴史は人物の伝記によって教えるのが望ましいという理論を持っていて、その影響もあったそうだ。要するに単なる紀伝体の伝統だけでなく、恐らくドイツのハイカラな理論でそのお墨付きが加わり、そのような記述になっていったのだろう)。その国定教科書も、時代が進むにつれ内容がどんどん「皇国史観」化していったのは周知の通り。
この発表に対して僕から、いわゆる「史学史」的な研究、つまりどのように日本史学が変化していき、教科書の記述もそれにシンクロしていったか、という視座から研究を進めるべきことと、教科書の本文を読み、どのような人物が取り上げられているか、時代によって取り上げられる人物の変化などはあるかを調べてみては、とアドヴァイスする。
終わった時は既に夜の7時半。さすがの長丁場に、みんなもぐったり。僕も酒でも飲まなきゃやってられない気分になったので、突発的だが「今晩暇な人は打ち上げしにいきましょう」と誘い、6名の諸君(A根くん、K川くん、N山さん、Hさん、O澤(しゃけ)さん、H川くん)が付いてきてくれた。このメンツで、大学近くの「KOYAJI」に行き、結局終電まで飲んでしまう。
ゼミ生の皆さん、この一年間お疲れ様でした。僕も君たちの
勝手極まる(笑)様々な発表で、色々耳学問させてもらいました。ありがとう。
あとはレポートですね。力作を期待しています。では、今度は恐らくゼミレポートの提出日にお会いすることになるでしょう。それではまた。
- 2008/01/24(木) 23:59:20|
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