「ポジティヴに」っていわれすぎ
今日も小池君の本。読んだのは第2章の「ネットワークビジネス」。要約者はOS木さん、コメントはF瀬さんとK坂君。
小池君は、アメリカ発祥の「ネットワークビジネス(代表的なのは、まさにアメリカン・ウェイの略たる「アム○ェイ」)の背後にある思想を19世紀末あたりのニューソートnew thoughtとか、積極志向positive thinkingに遡って考え、「願えばかなう」「思考は現実化する」という「教え」が現代の我々の様々な社会的場面でしばしばみられることを指摘している。日本人も「通販」好きだからねえ、この手の話しは他人事どころか、ものすごく身近且つ普遍的な話題だろう。
小池君はネットワークビジネスは非常に自己責任を強調する思想で、システムの矛盾や搾取に近いことに目が届かないことを問題視しており、実践者たちがアイデンティティの変容を経験していることなどを「宗教的」なものと見なしている(昔はquasi religionともいっていたよなあ)。
まあ、一番「宗教」に近いのは、定期的に行われる成功者の「体験談」をみんなで聞いて盛り上がる「ラリー」だよな(聞いた話では、リ○ブ21でも成功者が和田ア○子の歌声をバックに登場するようなイヴェントがあるそうな。見たい)。教団でも、「いかにして信心を得たか(深めたか)」という体験談を話すイヴェントはありふれており、これは私的な体験談を、公的な「神話」に変換・止揚するイヴェントといえるだろう。
F瀬さんのコメントは、「ググってみたら、ネットワークビジネスの会社の連想語で「被害」が良く出てきた」という実も蓋もないネタから始まり、宗教的側面の強いネットワークビジネスは、まさに代替宗教的なものとして受容されていないか、という問題提起。僕は「成功は、物質的な表現で定義される」ネットワークビジネスの世界は、実は宗教と地続きであることを述べ、その極端な例として、今は(幸いにも)亡き「悪の華」もとい「法の華三法行」の福永法源の言動を紹介。
K坂君は、今現在、まさにそのダイレクトセリングに誘われている体験談を沿えて(その話が非常に興味深かった。例えば不登校児を抱えた母親が集まるサークルが、そのネットワークビジネスの内部にあるとか。家庭的な問題を抱えた人の互助組織化する側面もあるってことか?)、「積極思考」は社会のどんな場面でも応用可能で、それに異を唱えるものは少なく、よって、それを強調して成功を煽るネットワークビジネスは現代人の誰もが陥る可能性のあるものだと指摘。これはその通りだと思う。これに対してA松さんは「とにかく積極的に、といわれすぎ。ポジティヴ・ファシズム(ファシズム・オブ・ポジティヴィズム)という感じ」と発言。これにみんな頷く(僕も頷く)。それにつられてH川君が「ネガティヴっていうのは、実は防御的な姿勢であることもあって(決して悪いことではない)」と発言。それにつられてOS木さんが、後の章で強調される「弱い自己」の肯定という話題を出し、O田さんが「ネガティヴ思考の人がポジティヴになろうなろうとしてもがいていて、もともとポジティヴな人はそんなことしなくても良い」というジレンマを指摘。このジレンマは深いよなあ。
今日は後半、人の発言につられる形で上記のように結構発言が出た。こういう感じのゼミが今後も続くと良いな。まず、僕がおしゃべりを止めるのが先決だが。
![]() | セラピー文化の社会学 ネットワークビジネス自己啓発トラウマ (2007/08/29) 小池 靖 商品詳細を見る |
小池君は、アメリカ発祥の「ネットワークビジネス(代表的なのは、まさにアメリカン・ウェイの略たる「アム○ェイ」)の背後にある思想を19世紀末あたりのニューソートnew thoughtとか、積極志向positive thinkingに遡って考え、「願えばかなう」「思考は現実化する」という「教え」が現代の我々の様々な社会的場面でしばしばみられることを指摘している。日本人も「通販」好きだからねえ、この手の話しは他人事どころか、ものすごく身近且つ普遍的な話題だろう。
小池君はネットワークビジネスは非常に自己責任を強調する思想で、システムの矛盾や搾取に近いことに目が届かないことを問題視しており、実践者たちがアイデンティティの変容を経験していることなどを「宗教的」なものと見なしている(昔はquasi religionともいっていたよなあ)。
まあ、一番「宗教」に近いのは、定期的に行われる成功者の「体験談」をみんなで聞いて盛り上がる「ラリー」だよな(聞いた話では、リ○ブ21でも成功者が和田ア○子の歌声をバックに登場するようなイヴェントがあるそうな。見たい)。教団でも、「いかにして信心を得たか(深めたか)」という体験談を話すイヴェントはありふれており、これは私的な体験談を、公的な「神話」に変換・止揚するイヴェントといえるだろう。
F瀬さんのコメントは、「ググってみたら、ネットワークビジネスの会社の連想語で「被害」が良く出てきた」という実も蓋もないネタから始まり、宗教的側面の強いネットワークビジネスは、まさに代替宗教的なものとして受容されていないか、という問題提起。僕は「成功は、物質的な表現で定義される」ネットワークビジネスの世界は、実は宗教と地続きであることを述べ、その極端な例として、今は(幸いにも)亡き「悪の華」もとい「法の華三法行」の福永法源の言動を紹介。
K坂君は、今現在、まさにそのダイレクトセリングに誘われている体験談を沿えて(その話が非常に興味深かった。例えば不登校児を抱えた母親が集まるサークルが、そのネットワークビジネスの内部にあるとか。家庭的な問題を抱えた人の互助組織化する側面もあるってことか?)、「積極思考」は社会のどんな場面でも応用可能で、それに異を唱えるものは少なく、よって、それを強調して成功を煽るネットワークビジネスは現代人の誰もが陥る可能性のあるものだと指摘。これはその通りだと思う。これに対してA松さんは「とにかく積極的に、といわれすぎ。ポジティヴ・ファシズム(ファシズム・オブ・ポジティヴィズム)という感じ」と発言。これにみんな頷く(僕も頷く)。それにつられてH川君が「ネガティヴっていうのは、実は防御的な姿勢であることもあって(決して悪いことではない)」と発言。それにつられてOS木さんが、後の章で強調される「弱い自己」の肯定という話題を出し、O田さんが「ネガティヴ思考の人がポジティヴになろうなろうとしてもがいていて、もともとポジティヴな人はそんなことしなくても良い」というジレンマを指摘。このジレンマは深いよなあ。
今日は後半、人の発言につられる形で上記のように結構発言が出た。こういう感じのゼミが今後も続くと良いな。まず、僕がおしゃべりを止めるのが先決だが。
- [2009/06/29 22:11]
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セラピー文化へ
今日から、友人小池君の本を輪読。
今日は第一章。要約はO田さん、コメントはM山くんとO崎さん。この第一章は、まあ先行研究のまとめと、これからの個別研究についての前振りの部分だが、学生諸君はほとんど知らない先行研究ばかりなので、僕はつい説明して、喋り倒すことに。いつもこうなんだよなあ。反省。ゼミは15人超えるとなかなか発言しづらいよな。で、僕が概略を話した本は以下のもの。
ベラーのこの本は、二度読んだけど、やっぱ必読だよな、この分野をやる人間にとって。
僕と小池君のお師匠様に当たる島薗先生の本。
斎藤さんのこの本、今は文庫化されたんだ。
樫村さん、実は今の僕の勤務校が出身大学なんだよね。聞いたときびっくりしたよ。
つい、オザケンの思い出話まで喋ってしまう。
実はこの本、2年前のこのゼミで読んでいるんだよね。
というわけで、本の解説だけであっという間に終わってしまった。
コメンテーターのM山君は「セラピーは(安直な)指針を与えて、依存させてしまうのではないか」と述べ(受け身の態度を造ってしまうところが最大の問題と指摘)、O崎さんは「かつての権力・権威から解放されたので、人々は自分の心を探るようになったのでは?」と大胆すぎる(笑)提言をしてくれたのだが、僕が喋りすぎたせいでタイムアウト。来週はできるだけ喋らない。教員が喋らないゼミほど成功したゼミ、というのは本当だと今も思っているんだよ、これでも。
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今日は第一章。要約はO田さん、コメントはM山くんとO崎さん。この第一章は、まあ先行研究のまとめと、これからの個別研究についての前振りの部分だが、学生諸君はほとんど知らない先行研究ばかりなので、僕はつい説明して、喋り倒すことに。いつもこうなんだよなあ。反省。ゼミは15人超えるとなかなか発言しづらいよな。で、僕が概略を話した本は以下のもの。
![]() | 心の習慣―アメリカ個人主義のゆくえ (1991/05) ロバート・N. ベラーウィリアム・M. サリヴァン 商品詳細を見る |
ベラーのこの本は、二度読んだけど、やっぱ必読だよな、この分野をやる人間にとって。
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僕と小池君のお師匠様に当たる島薗先生の本。
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斎藤さんのこの本、今は文庫化されたんだ。
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樫村さん、実は今の僕の勤務校が出身大学なんだよね。聞いたときびっくりしたよ。
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つい、オザケンの思い出話まで喋ってしまう。
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実はこの本、2年前のこのゼミで読んでいるんだよね。
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というわけで、本の解説だけであっという間に終わってしまった。
コメンテーターのM山君は「セラピーは(安直な)指針を与えて、依存させてしまうのではないか」と述べ(受け身の態度を造ってしまうところが最大の問題と指摘)、O崎さんは「かつての権力・権威から解放されたので、人々は自分の心を探るようになったのでは?」と大胆すぎる(笑)提言をしてくれたのだが、僕が喋りすぎたせいでタイムアウト。来週はできるだけ喋らない。教員が喋らないゼミほど成功したゼミ、というのは本当だと今も思っているんだよ、これでも。
- [2009/06/22 19:12]
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バイアグラがきっかけっていうのは・・・
ようやく、ノーグレンの本を今日で読了。学生の皆さん、お疲れ様でした。結構ヘヴィーな話題だから、意見も言いづらかったことと思う。
今日の要約者はI田さん、コメントはM田さんとI原さん。
今日の内容は、1990年代からピル解禁の最近までの「政治(力)学」について、って感じかな。
厚生省はピルという薬物が開発されてから約40年間も頑なにその公認を渋ってきたのだが、99年にやっと解禁されることとなる。でもそれは、バイアグラがろくな審査もされずにすぐに認可された、ということに端を発するすったもんだの挙げ句だった、というのはけっこう有名な話だと思う。まあ、とにかく情けないよね。勃起補助薬ならとっとと認可しちゃうご都合主義には苦笑せざるを得ない。確か、西原理恵子のマンガで、高須クリニックの高須先生が「バイアグラは年寄りが飲むのを想定して、喉に引っかかりにくい形状をしている」というのを知っているから、なおさら。ノーグレンは、ピル解禁派のアメリカ人として、本人はそれほど自覚していないだろうけど、「どうして日本人はこうもピルを使わないのか、それは家父長的価値観が支配する社会であり、産婦人科医の連合体がまさにそういう性格でもってピルの普及を妨げているのだ」という結論に持っていっているわけだが、日本人女性の側の「ピルの副作用が怖い」とか「生殖関係は自然でなくっちゃ」というようなナチュラリズム、とでも言えば良いんでしょうか、そういう心情も結構大きく影響していると思うぞ。
繰り返しになるけど、ノーグレンは文化論的なアプローチを極力排して、産婦人科医とか、製薬会社とか、政治家とか、各アクターの力学に「ピルの未普及」の原因を探る、というのだから、無い物ねだりなのだが、どうしても文化論的な厚味がないので、「そうはいってもなあ」という気分にさせられる。
どっちにしても、中絶でもピルの処方箋を書いても儲かる仕組みなんだから、一番得しているのは産婦人科業界であることは確かなのだが(昨今は過重労働と訴訟問題で、大変な職業であることは間違いない)、ピルの処方にもまだ結構高いハードルが科せられているとも聞く。バンバン処方箋出して、医者も製薬会社も儲かって、とならないのは、ここまで来ると「なぜ?」とやっぱり思ってしまうよなあ。
まあ、ピルだろうがコンドームだろうが、ちゃんと男の子も当事者意識持たなきゃダメだよ、という説教で締める。
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今日の要約者はI田さん、コメントはM田さんとI原さん。
今日の内容は、1990年代からピル解禁の最近までの「政治(力)学」について、って感じかな。
厚生省はピルという薬物が開発されてから約40年間も頑なにその公認を渋ってきたのだが、99年にやっと解禁されることとなる。でもそれは、バイアグラがろくな審査もされずにすぐに認可された、ということに端を発するすったもんだの挙げ句だった、というのはけっこう有名な話だと思う。まあ、とにかく情けないよね。勃起補助薬ならとっとと認可しちゃうご都合主義には苦笑せざるを得ない。確か、西原理恵子のマンガで、高須クリニックの高須先生が「バイアグラは年寄りが飲むのを想定して、喉に引っかかりにくい形状をしている」というのを知っているから、なおさら。ノーグレンは、ピル解禁派のアメリカ人として、本人はそれほど自覚していないだろうけど、「どうして日本人はこうもピルを使わないのか、それは家父長的価値観が支配する社会であり、産婦人科医の連合体がまさにそういう性格でもってピルの普及を妨げているのだ」という結論に持っていっているわけだが、日本人女性の側の「ピルの副作用が怖い」とか「生殖関係は自然でなくっちゃ」というようなナチュラリズム、とでも言えば良いんでしょうか、そういう心情も結構大きく影響していると思うぞ。
繰り返しになるけど、ノーグレンは文化論的なアプローチを極力排して、産婦人科医とか、製薬会社とか、政治家とか、各アクターの力学に「ピルの未普及」の原因を探る、というのだから、無い物ねだりなのだが、どうしても文化論的な厚味がないので、「そうはいってもなあ」という気分にさせられる。
どっちにしても、中絶でもピルの処方箋を書いても儲かる仕組みなんだから、一番得しているのは産婦人科業界であることは確かなのだが(昨今は過重労働と訴訟問題で、大変な職業であることは間違いない)、ピルの処方にもまだ結構高いハードルが科せられているとも聞く。バンバン処方箋出して、医者も製薬会社も儲かって、とならないのは、ここまで来ると「なぜ?」とやっぱり思ってしまうよなあ。
まあ、ピルだろうがコンドームだろうが、ちゃんと男の子も当事者意識持たなきゃダメだよ、という説教で締める。
- [2009/06/15 21:42]
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よらしむべし、知らしむべからず、ではなかった
ノーグレンの本もいよいよ終盤にさしかかってきた。
今回読んだのは第6章。「産児制限よりも中絶―日本の避妊政策(1945-60年)」というタイトルの通り、戦後すぐから60年代までの日本の中途半端な政策を総括した内容。要約担当はM嶋さん(声の調子が悪かったけど、風邪気味かな?お大事に)、コメントはH山さんとA松さん。
内容は多岐にわたるので、ここでは詳述はしないが、戦前は「産めよ増やせよ」だった厚生省の政策が戦後になって「子どもが多すぎるっていうのもねえ」と真逆になり、でも中絶件数が予想以上に増えてくると「将来の労働力が削られるのは座視できない」「けど、中絶でお金儲けしている医者は産児制限とかに非協力的だし」というグダグダなことになってしまった・・・というのがノーグレンの見立て。
コメンテーターのA松さんは四方由美さんという人の「戦時下における性役割キャンペーンの変遷:『主婦之友』の内容分析を中心に」(『マス・コミュニケーション研究』47、1995)という論文を引っ張ってきて(偉い!)、戦前から日本の女性たちは正確な避妊知識を得たいと思っていたにもかかわらずろくにそれを得るチャンスがなかったことが示された。まさに「民はよらしむべし、知らしむべからず」だった訳だ。このことは僕も知らなかったので勉強になった。良いネタを見つけてきてくれましたね、A松さん、GJ!
H山さんも負けじ(?)と、『図解避妊読本』(婦人画報社、1949年)という古色蒼然たる本を図書館から借りてきて、当時の避妊政策や考え方はどのようなものであったかということを調べてきてくれた。まあ、お上が色々言ってきたからって、庶民の方は「左様ですか」と避妊したり、子作りにはげんたり、ということはなかなかないのは、ご存じの通りなんだけどね。
僕の方は、これまた思いつきで喋ったのだが、「大家族」をテーマにしたテレビドキュメントや、実家が貧乏だったことをアピールポイントにしている芸能人の存在はどのようなことを意味しているか、などと学生諸君に質問する。
あと一回でこの本ともおさらば。もう一踏ん張り。
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今回読んだのは第6章。「産児制限よりも中絶―日本の避妊政策(1945-60年)」というタイトルの通り、戦後すぐから60年代までの日本の中途半端な政策を総括した内容。要約担当はM嶋さん(声の調子が悪かったけど、風邪気味かな?お大事に)、コメントはH山さんとA松さん。
内容は多岐にわたるので、ここでは詳述はしないが、戦前は「産めよ増やせよ」だった厚生省の政策が戦後になって「子どもが多すぎるっていうのもねえ」と真逆になり、でも中絶件数が予想以上に増えてくると「将来の労働力が削られるのは座視できない」「けど、中絶でお金儲けしている医者は産児制限とかに非協力的だし」というグダグダなことになってしまった・・・というのがノーグレンの見立て。
コメンテーターのA松さんは四方由美さんという人の「戦時下における性役割キャンペーンの変遷:『主婦之友』の内容分析を中心に」(『マス・コミュニケーション研究』47、1995)という論文を引っ張ってきて(偉い!)、戦前から日本の女性たちは正確な避妊知識を得たいと思っていたにもかかわらずろくにそれを得るチャンスがなかったことが示された。まさに「民はよらしむべし、知らしむべからず」だった訳だ。このことは僕も知らなかったので勉強になった。良いネタを見つけてきてくれましたね、A松さん、GJ!
H山さんも負けじ(?)と、『図解避妊読本』(婦人画報社、1949年)という古色蒼然たる本を図書館から借りてきて、当時の避妊政策や考え方はどのようなものであったかということを調べてきてくれた。まあ、お上が色々言ってきたからって、庶民の方は「左様ですか」と避妊したり、子作りにはげんたり、ということはなかなかないのは、ご存じの通りなんだけどね。
僕の方は、これまた思いつきで喋ったのだが、「大家族」をテーマにしたテレビドキュメントや、実家が貧乏だったことをアピールポイントにしている芸能人の存在はどのようなことを意味しているか、などと学生諸君に質問する。
あと一回でこの本ともおさらば。もう一踏ん張り。
- [2009/06/08 20:44]
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教団が政治に関わるとき
今日もノーグレンの本の続き。要約はO崎さん、コメントはT倉さんとO田さん。
今日四dなだい5章は、戦後の「反中絶運動」の流れとそれへの各セクターの対応をまとめたもの。周知のように日本において、「中絶原則反対」のプロライフ的な運動を起こしたのは生長の家及びカトリック教会くらいしか目立ってはいないのだが、70年代には、違う文脈から「青い芝の会」のような障害者団体もこの論争のアリーナに参入し、一筋縄ではいかない様相を呈することになる。
60年代から80年代初頭にかけては生長の家も結構一生懸命頑張ったのだが、その成果を法律の形にすることはできなかった、というのが大雑把な流れだが、幸福の科学も「宗教政党」を立ち上げようとしている昨今の状況からしても、過去のこういう動きをおさらいしたのは良かったかも知れない(実際、ゼミ生のK坂君が、たまたま大阪でのその「決起集会」のようなイベントを見に行って、資料を見せてくれたりした。
少子化社会といわれる今現在だが、30年以上前の「産める社会を、産みたい社会を」というスローガンは、実は全く古びていないのではないか?
今日は休み明けと言うこともあって(ゼミは二週間ぶりだ)、なかなか議論が温まらなかったが、みんなで田中美津の本でも読むと、意識が変わるかも知れないな。後、僕がゼミ中に紹介した原一男(青い芝の会の解説の延長で、「さよならPC」にも言及したのだ)の作品とかを嫌がらせのように見続けるとか(笑)。
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今日四dなだい5章は、戦後の「反中絶運動」の流れとそれへの各セクターの対応をまとめたもの。周知のように日本において、「中絶原則反対」のプロライフ的な運動を起こしたのは生長の家及びカトリック教会くらいしか目立ってはいないのだが、70年代には、違う文脈から「青い芝の会」のような障害者団体もこの論争のアリーナに参入し、一筋縄ではいかない様相を呈することになる。
60年代から80年代初頭にかけては生長の家も結構一生懸命頑張ったのだが、その成果を法律の形にすることはできなかった、というのが大雑把な流れだが、幸福の科学も「宗教政党」を立ち上げようとしている昨今の状況からしても、過去のこういう動きをおさらいしたのは良かったかも知れない(実際、ゼミ生のK坂君が、たまたま大阪でのその「決起集会」のようなイベントを見に行って、資料を見せてくれたりした。
少子化社会といわれる今現在だが、30年以上前の「産める社会を、産みたい社会を」というスローガンは、実は全く古びていないのではないか?
今日は休み明けと言うこともあって(ゼミは二週間ぶりだ)、なかなか議論が温まらなかったが、みんなで田中美津の本でも読むと、意識が変わるかも知れないな。後、僕がゼミ中に紹介した原一男(青い芝の会の解説の延長で、「さよならPC」にも言及したのだ)の作品とかを嫌がらせのように見続けるとか(笑)。
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- [2009/06/01 23:35]
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過剰人口、という言い訳
今日もノーグレンの本の続き。今日は3章、4章。要約はF瀬さん、コメントはK坂君とTさん。
今日の内容は、戦前(江戸時代も含む)の状況と敗戦直後の日本の「リプロダクション」政策と傾向についてのざっとした通史。
まずは「間引き」とか堕胎は江戸時代から度重なる禁令にもかかわらずなされていたこと(明治初期にも当然禁止され、産婆がそのとばっちりで弾圧されたりした)、そして富国強兵を目指す日本は当時の「人口=国力」の発想から「堕胎罪」を刑法に載せたりして、その後マーガレット・サンガーの産児制限の考え方とか、はたまた優生学なんかも入ってきたりして、日本の家族計画運動は最初から優生学的なものに感化されていたことなどが記されていた。
僕は数年前ゼミで取り上げた『青鞜』誌上の論争や与謝野晶子、山川菊栄等のなどを軽く紹介。
で、日本は戦時中はナチスにも影響された優生学的政策を採ろうとしたが(厚生省の設立も戦時中だ)、何故か「強制的不妊手術」はほとんど行われず(ハンセン病者などは行われたことは忘れるべきではないが)、過剰人口を侵略の口実にしていた戦前の反省から(ナチスも「生存権」という言葉で同じようなことをいっていた)、本国では中絶が禁止されたり、強制的な断種法があったにもかかわらずアメリカ(GHQ)は、日本の過剰人口を抑制するために合法的な中絶と産児制限が必要だと判断した。要するに、日本の場合は「宗教」だとか「倫理」よりも過剰人口を抑えて軍国主義に走らず経済復興に向かうという「国益」から中絶が認められたのだった・・・というのが今回読んだ部分の要点。
過剰人口、ということについて、僕から少し補足説明。これは、日本近代史を見ると、朝鮮、台湾、満州への移民という流れに先行して、当然だが、人口過密地帯から都市部や北海道への人口流出があったわけで、札幌の横の「北広島」の話とか、沖縄系が多い南米への移民の話とか、余談も少し挟む。
K坂君のコメントは、レトリックとして非常に面白いものだった(彼はよく遅刻とかもするが、時々鋭い意見も言うのでつい許してしまう)。彼曰く、「文化的要因が日本人の中絶・避妊に対する考え方の形成にそれほど関与しなかったといいうこと自体、とても日本らしい現象だと思ってしまうのである」。逆説的な表現だが、なかなか巧いことを言う。僕はこれを借りて、強制的不妊手術が日本で一般に拡がらなかったのは、国家の強制力のなさもさることながら、いざとなれば中絶すればいいや、という形でなし崩しに認められたからであって、断種法を制定したり手術をしてしまっていた欧米諸国の方が、生命の誕生そのものに非常なこだわりを持っていることが透けて見えるのだ、と考えを述べる。
Tさんのコメントから、戦後すぐの「パンパンガール」についての(暴言に対する)問題提起と(当時の学者で「パンパンガールの大半はもともと望まれない子どもだったんだから」なんて言うようなひどい奴がいたのだ。「悪い連中がねずみ算式に増える」という優生学の教科書的な発想からだろうけど)、現代的な話題として性教育に関する問題が取り上げられた。性教育って、言うまでもなく大事なんだけど、どの時期に、どこまで大っぴらにやるかは悩みどころだよね。ある学生が「中学生の時結構生々しい話をされてショックだった」という証言もしてくれたし。その辺のことは結論は出ないけど、Tさんのコメントにあったのだが「性を大っぴらに語るのを好まない日本人(それと反対の欧米)」というようなステレオタイプは危険だよ、とやんわり釘を刺す。日本なんかはコンビニでポルノが買えるくらい境目が曖昧だけど、欧米はポルノショップに行かないと見れないとか、「ライン」がはっきりしているというのが僕の印象。
今日はこんなところかな。
![]() | 中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策 (2008/08) ティアナ ノーグレン 商品詳細を見る |
今日の内容は、戦前(江戸時代も含む)の状況と敗戦直後の日本の「リプロダクション」政策と傾向についてのざっとした通史。
まずは「間引き」とか堕胎は江戸時代から度重なる禁令にもかかわらずなされていたこと(明治初期にも当然禁止され、産婆がそのとばっちりで弾圧されたりした)、そして富国強兵を目指す日本は当時の「人口=国力」の発想から「堕胎罪」を刑法に載せたりして、その後マーガレット・サンガーの産児制限の考え方とか、はたまた優生学なんかも入ってきたりして、日本の家族計画運動は最初から優生学的なものに感化されていたことなどが記されていた。
僕は数年前ゼミで取り上げた『青鞜』誌上の論争や与謝野晶子、山川菊栄等のなどを軽く紹介。
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![]() | 『青鞜』を読む (1998/11) 新フェミニズム批評の会 商品詳細を見る |
で、日本は戦時中はナチスにも影響された優生学的政策を採ろうとしたが(厚生省の設立も戦時中だ)、何故か「強制的不妊手術」はほとんど行われず(ハンセン病者などは行われたことは忘れるべきではないが)、過剰人口を侵略の口実にしていた戦前の反省から(ナチスも「生存権」という言葉で同じようなことをいっていた)、本国では中絶が禁止されたり、強制的な断種法があったにもかかわらずアメリカ(GHQ)は、日本の過剰人口を抑制するために合法的な中絶と産児制限が必要だと判断した。要するに、日本の場合は「宗教」だとか「倫理」よりも過剰人口を抑えて軍国主義に走らず経済復興に向かうという「国益」から中絶が認められたのだった・・・というのが今回読んだ部分の要点。
過剰人口、ということについて、僕から少し補足説明。これは、日本近代史を見ると、朝鮮、台湾、満州への移民という流れに先行して、当然だが、人口過密地帯から都市部や北海道への人口流出があったわけで、札幌の横の「北広島」の話とか、沖縄系が多い南米への移民の話とか、余談も少し挟む。
K坂君のコメントは、レトリックとして非常に面白いものだった(彼はよく遅刻とかもするが、時々鋭い意見も言うのでつい許してしまう)。彼曰く、「文化的要因が日本人の中絶・避妊に対する考え方の形成にそれほど関与しなかったといいうこと自体、とても日本らしい現象だと思ってしまうのである」。逆説的な表現だが、なかなか巧いことを言う。僕はこれを借りて、強制的不妊手術が日本で一般に拡がらなかったのは、国家の強制力のなさもさることながら、いざとなれば中絶すればいいや、という形でなし崩しに認められたからであって、断種法を制定したり手術をしてしまっていた欧米諸国の方が、生命の誕生そのものに非常なこだわりを持っていることが透けて見えるのだ、と考えを述べる。
Tさんのコメントから、戦後すぐの「パンパンガール」についての(暴言に対する)問題提起と(当時の学者で「パンパンガールの大半はもともと望まれない子どもだったんだから」なんて言うようなひどい奴がいたのだ。「悪い連中がねずみ算式に増える」という優生学の教科書的な発想からだろうけど)、現代的な話題として性教育に関する問題が取り上げられた。性教育って、言うまでもなく大事なんだけど、どの時期に、どこまで大っぴらにやるかは悩みどころだよね。ある学生が「中学生の時結構生々しい話をされてショックだった」という証言もしてくれたし。その辺のことは結論は出ないけど、Tさんのコメントにあったのだが「性を大っぴらに語るのを好まない日本人(それと反対の欧米)」というようなステレオタイプは危険だよ、とやんわり釘を刺す。日本なんかはコンビニでポルノが買えるくらい境目が曖昧だけど、欧米はポルノショップに行かないと見れないとか、「ライン」がはっきりしているというのが僕の印象。
今日はこんなところかな。
- [2009/05/18 22:39]
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保守派オヤジになりきれば
今日から本格的な輪読ゼミ。読むテキストはノーグレンの『中絶と避妊の政治学』。今日は第1章と第2章。要約担当はH川君、コメンテーターはM嶋さんとI田君。
内容は、戦後日本では、避妊対策が立ち遅れた代わりに中絶は例を見ないほど早く合法化されるという特異性があるが、その理由を文化論(例えば日本には中絶を許容する文化的背景がある、など)に求めず、様々な「結社」がせめぎ合うコーポラティズム的な社会制度、中間的集団の角逐の「結果」なのだということをノーグレンが最初に主張している部分だった、とまとめられるだろう。
これに対してコメンテーターのI田君もM嶋さんも、「もうちょっと文化的な背景も考えた方が良いのではないか」というような意見を表明する。宗教学者である僕も、ある意味当然そう考える(傾向性、としてね)。
M嶋さんはピルに関わる様々なサイトも見て予習したようで、なかなか面白いコメントを寄せてくれた。みんなの意見としては「ピルそのものに関する知識が決定的に不足していること」「医者の処方箋が必要で且つ毎日飲まねばならない、というハードルの高さ」という「ピルが普及しない理由」が当然あがったわけだが、僕はある意味挑発的且つ問題提起的に、嫌な「保守派のオヤジ」になりきって、「ピルなどを解禁したら、女性が自分の体を完全にコントロールして、フリーセックスに走ってしまう。それにコンドームは男が積極的に避妊に関わるという責任感を伴う立派な避妊法だ」という意見が出たらどうする、とみんなに問い掛ける。今まで散々保守派のしょーもない「純潔教育」に関する報道などは見聞きしてきたので、なりきるのは簡単。でも、こういう保守派の言動を「また何か言っているよ」と小馬鹿にできないのは、東京都の養護学校での性教育の騒動を見ても明らか。
OS木さんからの意見だったが「ピルに抵抗があるのは、薬そのものに対する拒否感というか、自然のままが一番という感覚もあずかっているのではないか」と述べて、みんな頷く。これは僕にも当てはまる(喘息薬だけは服用しているが、その他はできるだけ飲まないようにしている)。お産に関しても「痛みを伴ってこそお産」という考えが主流で、無痛分娩などはなかなか聞かない。
予想以上に皆さん面白い意見を言ってくれたゼミとなった。
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内容は、戦後日本では、避妊対策が立ち遅れた代わりに中絶は例を見ないほど早く合法化されるという特異性があるが、その理由を文化論(例えば日本には中絶を許容する文化的背景がある、など)に求めず、様々な「結社」がせめぎ合うコーポラティズム的な社会制度、中間的集団の角逐の「結果」なのだということをノーグレンが最初に主張している部分だった、とまとめられるだろう。
これに対してコメンテーターのI田君もM嶋さんも、「もうちょっと文化的な背景も考えた方が良いのではないか」というような意見を表明する。宗教学者である僕も、ある意味当然そう考える(傾向性、としてね)。
M嶋さんはピルに関わる様々なサイトも見て予習したようで、なかなか面白いコメントを寄せてくれた。みんなの意見としては「ピルそのものに関する知識が決定的に不足していること」「医者の処方箋が必要で且つ毎日飲まねばならない、というハードルの高さ」という「ピルが普及しない理由」が当然あがったわけだが、僕はある意味挑発的且つ問題提起的に、嫌な「保守派のオヤジ」になりきって、「ピルなどを解禁したら、女性が自分の体を完全にコントロールして、フリーセックスに走ってしまう。それにコンドームは男が積極的に避妊に関わるという責任感を伴う立派な避妊法だ」という意見が出たらどうする、とみんなに問い掛ける。今まで散々保守派のしょーもない「純潔教育」に関する報道などは見聞きしてきたので、なりきるのは簡単。でも、こういう保守派の言動を「また何か言っているよ」と小馬鹿にできないのは、東京都の養護学校での性教育の騒動を見ても明らか。
OS木さんからの意見だったが「ピルに抵抗があるのは、薬そのものに対する拒否感というか、自然のままが一番という感覚もあずかっているのではないか」と述べて、みんな頷く。これは僕にも当てはまる(喘息薬だけは服用しているが、その他はできるだけ飲まないようにしている)。お産に関しても「痛みを伴ってこそお産」という考えが主流で、無痛分娩などはなかなか聞かない。
予想以上に皆さん面白い意見を言ってくれたゼミとなった。
- [2009/05/11 23:22]
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簡単に法律にはできない
今日も生命倫理に関する議論。今日読んだのは、出生前診断の問題と、安楽死の問題に関する論考。
この本に入っている2本の論文。要約はS原さんにI賀さん、コメントはM山君にA部さん。
今回は考えさせられる、というよりは紹介のような論考を読んで、みんなに意見を戦わせてもらいたかったのだが、多少僕の意図は達成できた。
M山君の意見で考えさせられたのは、「出生前診断が全て悪いとは思えない。もし障碍が見つかっても産む人はいるし、事前の準備さえする事例も紹介されている。医者の恣意的な判断で検査をやったりやらなかったりするのはおかしい」というもの。これは、30年ほど前の「青い芝の会」の「母よ、殺すな」に通じるものがあるなあ、と感心。
A部さんは安楽死に関して「その時になってみないと判らない」とまず率直なとまどいを表明してから「法律というタイトなものではなく、ガイドラインを厚労省が出したのは評価できるのでは?」と問題提起。これを受けてM嶋さんが「どうしてアメリカの一部の州やオランダみたいな法律ができないんでしょうね」と問い掛け、みんなで考える。これは脳死臓器移植と同じ問題なんだよね。「自己決定権」と「家族の意思」の問題。どっちを優先させるか、というのが一番判りやすい対立構造だが、どっちを優先させても、問題は残る。
ということで、僕の意図通り「すっきりしないまま」ゼミは終了。すっきりできないもんなんだよ、というのを確認するためにゼミをやっているような所があるなあ(笑)。今日僕が提示した参考文献は以下のもの。
ともに「安易な道」を拒絶するための格闘の軌跡。
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この本に入っている2本の論文。要約はS原さんにI賀さん、コメントはM山君にA部さん。
今回は考えさせられる、というよりは紹介のような論考を読んで、みんなに意見を戦わせてもらいたかったのだが、多少僕の意図は達成できた。
M山君の意見で考えさせられたのは、「出生前診断が全て悪いとは思えない。もし障碍が見つかっても産む人はいるし、事前の準備さえする事例も紹介されている。医者の恣意的な判断で検査をやったりやらなかったりするのはおかしい」というもの。これは、30年ほど前の「青い芝の会」の「母よ、殺すな」に通じるものがあるなあ、と感心。
A部さんは安楽死に関して「その時になってみないと判らない」とまず率直なとまどいを表明してから「法律というタイトなものではなく、ガイドラインを厚労省が出したのは評価できるのでは?」と問題提起。これを受けてM嶋さんが「どうしてアメリカの一部の州やオランダみたいな法律ができないんでしょうね」と問い掛け、みんなで考える。これは脳死臓器移植と同じ問題なんだよね。「自己決定権」と「家族の意思」の問題。どっちを優先させるか、というのが一番判りやすい対立構造だが、どっちを優先させても、問題は残る。
ということで、僕の意図通り「すっきりしないまま」ゼミは終了。すっきりできないもんなんだよ、というのを確認するためにゼミをやっているような所があるなあ(笑)。今日僕が提示した参考文献は以下のもの。
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ともに「安易な道」を拒絶するための格闘の軌跡。
- [2009/04/27 18:15]
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少し照れくさい
今日からゼミが本格的にスタート。
今日から正式参加を表明した人もいるので、結局21名の大所帯になった。これは、このブログを始めたときの20人を超えて、史上最大。
今日は、最初に僕の論文を読んでもらった。筆者としてその要約と、コメントを聞くという最初の経験。要約担当はTさん、コメンテーターはS原さんにK平さん。
結局僕の提示した「宗教性」という、わざと曖昧にぼかした言葉に食い付く学生が多かったなあ。戦略的にぼかしたんだけどね。
僕の言いたいことは、読んでもらえればお判りの通り非常にシンプル(だと思うんだけどなあ)。
今日は自分の論文、ということであまり語りたくないので、この辺で。
この人数だと、喋らせるのが結構大変だよな。経験から言って、15人超えるとお互いを牽制し合って(依存して)喋らなくなるからなあ。喋らせる工夫が必要。
今日から正式参加を表明した人もいるので、結局21名の大所帯になった。これは、このブログを始めたときの20人を超えて、史上最大。
今日は、最初に僕の論文を読んでもらった。筆者としてその要約と、コメントを聞くという最初の経験。要約担当はTさん、コメンテーターはS原さんにK平さん。
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結局僕の提示した「宗教性」という、わざと曖昧にぼかした言葉に食い付く学生が多かったなあ。戦略的にぼかしたんだけどね。
僕の言いたいことは、読んでもらえればお判りの通り非常にシンプル(だと思うんだけどなあ)。
今日は自分の論文、ということであまり語りたくないので、この辺で。
この人数だと、喋らせるのが結構大変だよな。経験から言って、15人超えるとお互いを牽制し合って(依存して)喋らなくなるからなあ。喋らせる工夫が必要。
- [2009/04/20 18:48]
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二〇〇九年度学部ゼミ始動
今日が学部ゼミの初日。
事前の希望調査票によると、今年もそこそこ多そうだったので、空いている教室を探したのだが、生憎どこもふさがっており、自分の研究室に近いAV実習室に集まってもらう。
実は僕はこの部屋が苦手。というのも、AV実習室だから、当然机(機械)が固定されていて、机を組み替えたりすることができないし、何と言っても飲食禁止なので、お茶お飲みながら喋りたい僕としては不満たらたらなんだけど、本当にここしか空いていなかったので仕方なし(同じ時間帯に、一年生の必修授業があり、そちらで殆どめぼしいところは押さえられている)。
今年のゼミ生は約二〇名(一人か二人減るかも知れないが)。
この人数は、このゼミブログを初めた二〇〇五年度以来の多さ。あの時は初めてのゼミ合宿もしたし、僕としても思い出深い学年だったなあ。
まあ、そんな追想はさておき、今日は来週以降の担当者を決めて、すぐに解散し、何人かは僕の部屋に来て雑談(本やCDを借りた人もいる)。来週以降に読む本は以下のもの。
恥ずかしながら、第一回目は、『思想地図vol.1』所収の拙稿を読ませようと思う。僕が今年、いわゆる生命倫理関連のゼミを開こうとした問題意識を共有してもらうため。自分の論文を学生に読んでもらう、というのは生まれて初めての経験で、多少恥ずかしいのだが。
再来週は、これに入っている二つの論文(というか、現状紹介のレポートだな)を読んで、自由に討論してもらいたいと思い、敢えて無味乾燥なものを選ぶ(著者の方、済みません。でも、現状報告はそういうドライなものが良いと思います)。
そして三週間後からは、ちょっとお高いが(学生にとって)、知り合いが翻訳した以下の本を輪読予定。
荻野美穂先生の『「家族計画」への道―近代日本の生殖をめぐる政治』と迷ったのだが、こちらを採用。
ともかく、今年のゼミは、旧学科として最後のフルメンバーのゼミ。
一緒に楽しく学んでいきましょう!一年間宜しく。
事前の希望調査票によると、今年もそこそこ多そうだったので、空いている教室を探したのだが、生憎どこもふさがっており、自分の研究室に近いAV実習室に集まってもらう。
実は僕はこの部屋が苦手。というのも、AV実習室だから、当然机(機械)が固定されていて、机を組み替えたりすることができないし、何と言っても飲食禁止なので、お茶お飲みながら喋りたい僕としては不満たらたらなんだけど、本当にここしか空いていなかったので仕方なし(同じ時間帯に、一年生の必修授業があり、そちらで殆どめぼしいところは押さえられている)。
今年のゼミ生は約二〇名(一人か二人減るかも知れないが)。
この人数は、このゼミブログを初めた二〇〇五年度以来の多さ。あの時は初めてのゼミ合宿もしたし、僕としても思い出深い学年だったなあ。
まあ、そんな追想はさておき、今日は来週以降の担当者を決めて、すぐに解散し、何人かは僕の部屋に来て雑談(本やCDを借りた人もいる)。来週以降に読む本は以下のもの。
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恥ずかしながら、第一回目は、『思想地図vol.1』所収の拙稿を読ませようと思う。僕が今年、いわゆる生命倫理関連のゼミを開こうとした問題意識を共有してもらうため。自分の論文を学生に読んでもらう、というのは生まれて初めての経験で、多少恥ずかしいのだが。
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再来週は、これに入っている二つの論文(というか、現状紹介のレポートだな)を読んで、自由に討論してもらいたいと思い、敢えて無味乾燥なものを選ぶ(著者の方、済みません。でも、現状報告はそういうドライなものが良いと思います)。
そして三週間後からは、ちょっとお高いが(学生にとって)、知り合いが翻訳した以下の本を輪読予定。
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ともかく、今年のゼミは、旧学科として最後のフルメンバーのゼミ。
一緒に楽しく学んでいきましょう!一年間宜しく。
- [2009/04/13 22:19]
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