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フィールドワークをどう活かすか 

今日は卒論を抱えたK島さんの発表。彼女のテーマは、今流行の(といったら、語弊があるけど)ニートとその「社会復帰」について。

彼女はニート及び引きこもり(に近かった人)が山の中で集団生活をして、だんだん「働いていくことができるようになるまで支援する」施設にヴォランティアとして参与観察を行い、そこでの観察も交えて発表してくれたわけだが、他の施設も2、3紹介して、その共通点(共通の問題点)を挙げ、これからそのあたりの考察を深めていきたい、という感じで発表は終わった。

なんか、彼女の迷いというか、いいところをつかんではいるのだけど、どこに力点を置くか、というのがなかなか伝わってこない感じがして、少し隔靴掻痒だった。でも実は、これは指導する僕の迷いでもある。一体どこに力点を置いた書き方をさせるべきか、というのが僕の方もまだ見えていないので、上のような感想を持ってしまうのだ。
僕としては、せっかく潜り込んで、短い期間とはいえ参与観察ができたある施設を中心に書いて欲しいとは思うのだけど・・・。足で稼いだデータは、先生も口を挟めない領域だし、真にオリジナルな部分って、そういうところになりますしね。
NEET問題の御三家、と僕が(勝手に)言っている本田由紀さん、玄田有史さん、斎藤環さんの意見をまとめるだけでは物足りないからね(本田先生は玄田先生の最新刊『働く過剰』(NTT出版)に、結構批判的なようだが。こことかここを参照)。

フィールドワークや、インタビューという「素材」をどのように「料理」するか、という講義やトレーニングは、残念ながらしてあげられなかった。そのことは申し訳なく思う。でも、こういう事はマニュアルがあるわけではなく、手探りで行った方がいい結果が出るだろうな、という気はする。マニュアルに従って、マニュアル通りの結果を結論に持ってくるのは、ちょっともったいない。インタラクションというか、インタープレイというか、そういう「相互作用」がフィールドワークやインタビューの醍醐味なのだから、自由にやってください。
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データは重要 

今日の発表は、バイク好きのT君が、「好きこそ物の・・・」を活かして、日本のバイク産業の簡単な歴史と、世界に冠たるバイク王国の日本で何故かくもバイクの地位が低いのか、それは高校での「3ない運動(免許を取らない、買わない、乗らない)」が遠因なのではなかろうか、という主旨の発表だった。

Tくんは、なかなか大学にやってこない奴だからどうなるかな、と思っていたら、結構いい発表だったのでほっとした。やれば出来るじゃないの

今日の発表で、面白かったのは高校生のバイクによる事故と死亡に関するデータだった。面白い、といっては不謹慎だが、今日の発表によると、それほど「3ない運動」に力を入れず放任主義的な県では、高校生の死傷率が一般の交通事故死傷率とさして変わらないのに、「3ない運動」をしっかりやっている県では却って高校生の死傷率が一般死傷率よりも高い、というデータがあるのだ。普通なら「3ない運動」がしっかり根付いていれば、死亡事故などは減りそうなものなのに、データではそれと真逆の結果を表しており、T君は「陰でコソコソやるからこそ、事故率や死亡数が上がっているのでは」という推測を導いていた。なかなか説得力のある提言だと思う。あとは、例に挙げた県の他の都道府県でも、同様のデータがいくつもあれば、もっと信憑性を増すことだろう。やはりデータは重要。でも、文学部の学生らしく、ゼミ生からは、彼が切り貼りしてきたグラフに関しての質問が一切出なかった。全く、もう。苦手なところはきれいにスルーしやがって(笑)。
今日の発表を聞いて、連想したのが「性教育」の問題。バイクの「3ない運動」同様「触れないでおいた方が良い」のか、「それともちゃんと教えた方が良いのか」という論争は、相似形だ。まあ、性教育の場合は、ちゃんと教えた方が良い、と言う方向に傾いているけど、(ちゃんちゃらおかしい)バックラッシュも色んなところで噴出しているしなあ。

「盗んだバイクで走り出す~♪」のは尾崎豊だが、君たちは盗んだテーマで走り出してはいけませんよ(笑)。
また来週も頑張ってね。

修論中間発表会 

卒論中間発表会が終わったかと思えば、今度は修論中間発表会である。
忙しい。
昨晩、深夜の電車で手帳を読み返さなければ、忘れそうだった。危ない危ない。
でも、昨日の深酒が祟って、10分ほど遅刻してしまう。発表者のYさん及び主任のN先生、申し訳ありませんでした。
遅刻したにも拘わらず、遠慮なく質問はしてしまう。我ながら神経が太い。
今年は4人の発表だったが、去年ほどひどいことにはならず(去年は、はっきりいって大変だった。先生たちがみんな怒りまくって、その収拾が)、ほっと胸と胃のあたりを撫で下ろす。

みんな、さすがに卒論と比べたら失礼だけど、基本的なことはちゃんと調べているのだが、今度は、その「並べ方」というか、構成とか、強調点の置き方が問題になってくる。先生方の指摘も、「結局君は何を主張したいのか」「どこがこの論文の一番のポイントなのか」ということに収斂していたように思う。
あと3ヶ月、頑張ってください。
今日の発表会は無事平穏だったので(学生諸君にとってはそうでもなかっただろうが)、さして書くこともなし。

一般論と個別論の繋がり 

今日は3年生のトップを切って、Tさんが発表。発表のテーマは「観光学」と「京都の観光の実態とその問題点」といったところ。

まずは「観光」というものが様々な角度から現在では解析されている現状(要するに「観光学」概論だ)を説明し、その具体的な試みとして、現在我々の「地元」である京都の観光は一体どういうものか、というのを各種データを出して解説してくれたわけだが、今日の発表は、その前半と後半の独立性が強すぎて、うまくかみ合っていなかった憾みがあった。言ってしまえば、前半の「観光学概論」が活かされていなかったのである。
そこで、みんなにも共通することとして、「一般論(理論)」と「個別事例研究」のバランスを考えなさい、というようにお説教。これは、どんな分野にでも言えることだが、やはり両者のバランスは必要だろう。
それと、本のまとめで終わってしまっていて、Tさんの意見が見えづらかったことも指摘して、最終レポート時には直すように指示。やはり「人の書いた部分」と「自分の思いつき」は区別して書かないとね。これから発表する皆さんも、気をつけるように。

卒論中間発表会終了 

いやあ、終わった。脱力しました。ふーっ。
二日間に渡るマラソン発表会も、とうとう終わってくれました。

昨日の何人かの発表では、僕がいい加減なOKを出してしまったために大やけどを負ってしまった学生さんに申し訳なく(また、彼女たちが「先生、済みませんでした」と謝ってくれるものだから、益々良心の呵責が・・・)、痛む胃を薬で抑えながら登校しました。
まあ、他の先生方のコメントも、ある部分はちょっと的はずれだったり、ところどころ不当かな、と思える部分もあったけど、恐らく僕がこう思ってしまうのは、出身学科が「宗教学科」というとんでもなくアナーキーな学科だからだろう(ほんと、同級生たちの卒論を思い出しても、無茶苦茶な学科だった)。先生方のコメントをじっくり聞いていると、やはり、「出自」というものがよく判りますね。ちゃんとしていないの、僕だけなんだもの(笑)。頭の中を「ディシプリン」という語がグルグル回る。

さて、昨日痛めた胃が癒される間もなく、朝一番から3人目まで、実はみんな僕の指導学生でして(Yさん、Oさん、Iさん)、まるでジェットストリームアタックをかけられる思いでした。
まあ、彼女たちの発表に対するご批判は、まあ「想定内」で収まった、という感じ。さすが、先生方は、付け焼き刃を見逃してはくれません。そのあたりを突かれたのが多かったかな。昨日に比べれば、(僕的には)発表会は平穏に過ぎていった。

でも、よく考えたら、これほど自分の指導学生の動向に感情が左右されるっていうのは、気弱なピアノ教室の先生めいていて、自分でも腹が立ってくる。お互い教員がそういうメンタリティで対峙するのは、学生にとっても精神衛生上良くないな。

今日の発表は、フィールドワーク系のテーマの学生が集中していたが、やはり自分の足で稼いできたデータというのは、オリジナルなものだし、大事に使って欲しい。そのフィールドワークしてきたものを確認するために理論があるのだ、というくらいに考えればいいと思う(そして、通説になっているような理論に対して、フィールドワークの成果から反論してみるのも良い)。

さあ4年生の皆さん(及び後ろで聞いていて、来年は我が身、と思った3年生の皆さん)、お疲れ様でした。
あとは、有益なコメントを自分なりに咀嚼して、前進あるのみ。頑張ってね。今度はちゃんと手助けしますから

卒論中間発表会初日 

今日は、待ちに待った卒論中間発表会の日。学生にとっては、「判決言い渡し日」(しかも敗訴が濃厚)みたいなものですが。

今年は、4年生の人数がまあまあ多く、朝の9時半から夕方の5時まで、計14名の発表を聞く。

今、はっきりいって、ボロボロです。この後、仕事しようかな、と思いましたが、ちょっとその元気が・・・。

寝不足と、コメントの必要性から緊張していた、というのが主な理由ですが、僕が指導している学生が軒並み他の先生方から総攻撃を食らって、それを見ている僕としては、まるで自分が攻撃されているような錯覚(そう、これは錯覚なのですが)に陥り、胃が痛くなり、コーヒーが飲めなくなりました(笑)。ごめんね。僕が一応「これくらいで良いんじゃない?」と心のないOKを出してしまっていただけに、自責の念に駆られる。

で、ここからは自戒を含んで言いたいのだが、「君は今まで何を勉強してきたのか!!」という台詞は、なるべく言いたくはない。こういう一方的すぎる他罰的な責めの言葉は、ある線を越えると不当なものとさえ思う(今日、ある同僚のコメントに、ちょっとそういうものを感じた)。確かに、そうも言いたくなる発表もある(現に今日もあった)が、「彼・彼女に教員として何をしてきたのか」という自問と自責の念が少しでもなければ、その言葉は恐らく学生には届かないし、あまりにも無責任だ。こういう場でのひどい発表では、我々教員にまさに「応答可能性」としてのresponsibilityが問われているのだ。

まあ、友人が結構きついコメントをもらうのを目の当たりにした明日発表の諸君の気持ちは、必要以上に引き締まったはずだが・・・。
明日の夕方、打ち上げできる体力が、学生にも教員側にもあるかは疑問だ。

相談連チャン 

来週の火曜・水曜日は、丸二日かけて、4年生の「卒論中間発表会」だ。いつものんびりしているうちの4年生もさすがにお尻にがつき始めて、今日だけで3人(Yさん、Oさん、Mくん)の相談に乗り、結構吸い取られた。さっき、20分ほどだと思うが、研究室の椅子で寝てしまっていた。

Yさんはいわゆる「摂食障害」のことがテーマ。このテーマに関しては、社会学・心理学・精神医学の蓄積があるわけだが、文学部生としては、まあ社会学的な視座からの分析、ということになろう。
Oさんは、あるキリスト教の教会の構成員、特に主婦たちの調査がテーマ。この教会は、幼児洗礼もするのだが、結婚を機に洗礼を受けるという人も多い(両者が共に洗礼を受けることが結婚の条件でもある)。そういう人が、そのような信仰生活を送っているのか、どのような宗教観を持っているのかが調査の主眼。
Mくんは、うってかわって、「陶磁器の歴史」、特に有田焼と薩摩焼という朝鮮由来の二つの流派の比較。両者は、当時の藩の政策にも違いがあり、残っている朝鮮語由来と思われる用語にも違いがあるというので、その総合的な比較なわけだ。鍋島藩と薩摩藩の性格の違いが鮮明にできればいいのだけど・・・。

彼らはとりあえず今週中に指導教員なり誰かにレジュメを提出することになっている。今も、僕の研究室の真下の共同資料室で、何人かが頑張っているだろう。

さて、ご飯を食べに行きます。

後期(個人発表)ゼミ開始! 

今日から後期がスタートし、ゼミも初日を迎えた。

今日の発表者はKさんとIさん。ともに4年生。4年生は、来週「卒論中間発表会」なる学科主宰の公開処刑、もといイヴェントがあるので、その予行演習として、今日は特別にダブルヘッダーを組ませた。今日からコメンテーターが司会者も勤め、僕は締め(「諦め」に非ず。漢字の形は似ているけど)の言葉だけをかける、というスタイルに変更。

まず、最初のKさんは「スクールカウンセラーの役割と影響」というタイトルで、スクールカウンセラーの導入の経緯と、それへの批判を中心にまとめてくれた。どうしてもその批判点にばかり注意が行ってしまい(具体的には小沢牧子氏のような批判だ)、カウンセリングを受ける側の生徒や、カウンセラー自身の声が見えづらかったうらみがあったので、そのあたりを考えるように指示。

もう一人のIさんは、「ホリスティック医学」というタイトルで、ビンゲンのヒルデガルトの話から、昨今のholistic medicineとか、alternative medicineの流れの概括。ヨーロッパ中世と現代に通底する意識、というのは興味深いのだが、この二つのテーマが独立していて、繋がりが見えづらかったので、そこを修正するように指示。

今日、特筆すべきは、3年生のコメンテーターのKさんとMさん。2人とも事前に発表レジュメを手に入れて、しっかりワープロで打ってきたコメントを提出してくれた。初日だからかもしれないが、気合いの入ったことをしてくれて、嬉しく思う。コメンテーターと発表者は、少なくとも発表当日の昼休みには打ち合わせをせよ、とは言っているのだが、例年、発表者の方が当日までバタバタして、ぶっつけ本番でコメンテーターが質問せざるを得ないのが普通なのだが、今日は二組ともそこをクリアして、良い見本を見せてくれた。

この調子で次回も頑張って欲しい。滑り出しはまあまあ順調。
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