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卒論構想相談とトラウマ 

このところ、連日今度4年生になる学生が相談に来る。

というのも、この春休みの宿題として、どんな卒論を書きたいかをレポートしなければならず(まあ、レポート用紙一枚程度なんだけど)、その相談なわけだ。
内幕をばらしてしまうと、今回のこの「宿題」は、我々教員が、学生一人一人の方向性を見極め、それぞれの指導教員を確定させるために出してもらうもので、そんなに細かく詰めなくても良いんだよ、とまずはリラックスしてもらう。それでも学生は不安そうな顔をする。それは何故か。

実は、去年10月の卒論中間発表を後輩として見学して、けっこう勉強していた(ように見えた)先輩達が次々と「討ち死」したのを見てびびっているわけだ。
僕の想像以上に、今の新4年生の心には、あの情景が焼き付いているらしく、ここまで来ると「トラウマ」としか言いようがないね(笑)。トラウマを植え付けるほどの中間発表会も、ちょっと考えもんだなあ。学者になった我々なんて、切磋琢磨という言葉の響きは良いけど、そういうもの(けなし、けなされること)に「パンチドランカー」的に慣れちゃっているものだから、学生の気持ちを忖度できていない憾みがあろう。

ちょっと真面目に考えると、僕は学生の指導と学術書の書評というのはよく似ていると思っている。ともに、まずは欠点を見つけ、それを指摘するのがまず第一だ。これは避けようがない。また、それに伴う「無い物ねだり」というのも共通しているだろう。しかし、その後のフォローとして、もしかしたら学生(もしくは著者)さえ気付いていない美点や可能性も発見して「そっちを伸ばせば」と、背中を押すような「気遣い」が必要だと思う。今度から我々教員も、その「気遣い」を見せなくちゃな、と思う。
まあ、この春休みは就活しながら、関係ありそうな本を2、3冊読んで過ごしてください。
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