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オタクの「萌え」とは 

今日は(オシャケじゃない方の)O澤さんの発表(関係者以外判らないでしょうが、これで良いのだ)。
発表題目はずばり「オタクの萌えについて」。やっぱ、教える僕がこんな人間だから、というわけでもないでしょうけど、こういう自由研究に手をつける人が現れました。僕はもちろん歓迎ですが、僕自身が結構この辺りの言説を読み込んでいる方だと自負しているので、ちょっと彼女に対し点が辛くなりがちかも知れない。
また、僕の場合、同世代にこの辺りの論客(東浩紀くんは大学の同期生だ)が多い関係で、どうしても「リアル」な問題としてオタクについては考えてしまう。大体、今年度のゼミのテーマで「セクシュアリティ」を取り上げたのも、オタクのセクシュアリティ問題(「萌え」問題も当然含まれる)を考えていたからでもあるのだ(皆さん、知らなかったでしょ)。

今回の発表だが、基本ラインは、本田透さんの『電波男』と、堀田純司さんの『萌え萌えジャパン』が基となった発表であった、と評せるだろう。あと、もちろん「腐女子」のお話、すなわち「やおい」とかの話も出たが、今回はそれほど深く突っ込んだものにはなっていなかった(大枠は押さえられていたけど)。

で、男女を問わず「萌え」というのは、やはり「補完」というか、現実の代替物なのではないか、というのがO澤さんの見立て。でも僕が思うに、本田氏なんかは、自身の内面に巣くう「恋愛至上主義」に傷つきながら「代わりなんかじゃないやい、二次元は独立した存在なんだい」と抗弁しているような気がする(その抗弁がどれだけ有効かはさておき)。
あと、東くんが説くように「萌え」ってもう少し「動物的」なもののような気もするし、「やおい」に顕著だが、そのキャラの「属性(ここには猫耳なども含まれよう)」もさることながら、キャラ同士の「関係性」そのものへの萌えというのも大きいと思う。「主人と奴隷」とか「下克上」(笑)とか「リバ」とか「誘い受け」とか、関係性を表す語彙は多く、それぞれの「好み」があったりするわけだ。この「関係性」への没入、というモメントをちょっと掘り下げて欲しいと個人的に思う(メイドカフェとか執事カフェなんて、その関係性を半ばパロディにしているものだろう)。やはりO澤さんには、東くんの「萌え」議論をまずは精緻に読み解いて欲しいと思う。

あと、O澤さんのレジュメで少し触れられていたが、自分の思うとおりのストーリーを仮託できる存在としての「ドール(球体間接人形など)」について、僕はもっと詳しく聞きたかったなあ。二次元美少女に萌える、という話は山ほど聞いているので、それとはちょっと違うものの話を聞きたかった。

コメントではオタクのコミュニケーション能力について議論が出たが、宮台さんが昔言っていた「島宇宙」論を教える。島宇宙の中はコミュニケーションは成り立っているのだが、その外の島宇宙とは断絶状態。「おしゃべりなオタク」というものは、島宇宙の中のコミュニケーション形態なわけだ。良く混同される「引きこもり」は斎藤環氏が説くように、実は全然オタクとは別物だし(引きこもりは、ネットにはまらないなど、オタクの「傍若無人」とかとは違うコミュニケーションの病なのだ)。

ともかく、今回はまだ消化不良の部分が多かったから、もっと詰めていきましょうね。基礎はできているんだから、あとは絞っていく方向ですね。
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「京女」のイメージ 

学部ゼミの発表者はK本さん。テーマは「古典文学に見る京女のイメージ」と言ったところか。
彼女は最初、現代の「京都」及び「京女」のイメージについて調べたいといっていたので、どんなのが出てくるかな、と思ったら、あに図らんや、いきなり西鶴とか川柳とか、東海道中膝栗毛とかの「京女」のイメージについての言葉をダダダと引用してきたのでびっくり。
僕も初めて知ったのだが、けっこう江戸時代には、今の我々がぼんやり持っている「京女」のイメージの元型(美人で言葉遣いがたおやかで・・・といった類)と言えるものは、文芸作品を見る限り形成されつつあったらしい。もちろん、戦後の観光産業の力が現在では大きいが、けっこう昔にまで遡れることには素直に驚き、感心した。
今回の発表では、様々な「京女」言説を集めてくれている本からの、いわば「引用の引用」でまとめてしまったきらいがあったので、これからはできれば自分で探してみたりして、付け足しをおこなって欲しいところだ。あとは「東男と京女」というカップリング(笑)の歴史とかが個人的には気になったな。

2006年度修論中間発表会 

今日は今年度の修論中間発表会。7人のM2、M3諸君が発表する予定だったが、一人ドタキャンしたので、結局6名の発表を聞くことになった。
で、最近忙しすぎて大変気が短くなっている(当社比)僕は、初っぱなのK野さんの発表で、けっこう厳しい口調でギリギリいじめてしまった。まあ、「素振り発表」だったから仕方ないんだけど。
次の韓国人留学生のKさんは、まあそこそこまとまっているけど、まだ理論が人の借りものなので、自分なりの理論を編み出して欲しい、というのはちょっと欲張り過ぎか?
午後に入って、N澤さんとA藤くんの二人は共に日本の古典に関する研究だったが、突っ込まれると全て指導教員のI田先生に「投げっぱなしジャーマン」だったので、僕としてはI田先生の講義を聴いているような気分だったぞ(笑)。反省するやうに。
その次はがらっと変わって、エチオピアにフィールドワークをしに行っていたO場さんの発表。夏休み前の事前発表とか、書きかけのメモを夏休みに読んだときはどうなるかと思ったが、この二ヶ月のA阪先生の懇切丁寧なる指導のお蔭で、ものすごくよくなっていて、感心した。ようやく安心できるぜ。
最後のM字さんは、残念ながら学部ゼミと重なっていたので、最後まで聞けなかったが、レジュメを見る限り、段々よくなっているように思える。

まあ、今日は雷を落としたのは、よく見たら僕だけだったかも知れないが、頑張ってくださいね。

女人禁制について 

今日の発表者は、3年生のF原さん。発表タイトルは「女人禁制の現状とその“伝統”」というもの。彼女は以前吉野方面に登山に行って、このテーマを思いついたそうだ。

彼女の発表の中心は、やはり大峰山。ここは岡山県の後山と並んで、いまだに女人禁制を貫いている山として有名だが、特に最近は熊野など近所を含めて世界遺産に指定されたり、けっこう戦闘的なフェミニストがある意味この山を「強行突破」しようとしたり、話題には事欠かない。
彼女は慶應の鈴木正崇先生の『女人禁制』(吉川弘文館、2002)を中心にこの山の来歴を調べ(まあ、この本も僕が貸したのだが)、あとは波平恵美子先生の“ケガレ論”から現代における「女人禁制」(仕事上の制限を含む)という、いわば二本柱で発表してくれた。最初どうなるかと実は危ぶんでいたのだが、けっこう要領よくまとめていて感心。議論は3年生の諸君が中心、というか、彼女たちばっかり喋っていたな(僕から指名して、無理矢理I田さんに喋らせたけど)。司会者がオシャケ(仮名)だったせいもあるが(笑)。
僕としては、もっと「差別論」というか、男の「ホモソーシャリティ」に言及するコメントがあっても良いかな、と思っていたが、そこまで要求するのは欲張りだっただろう(差別云々の話は出てきたけど)。

僕も最後に思いつきをだーっと喋ったのだが、学生の何人かの「女性の保護として女人禁制(危険なところに女は入るな)が出てきたのでは」という意見に対しては、「それはけっこう近代的な、新しい考え方じゃないかな」と述べた。女性を危険から遠ざけるというか、母体保護っていうのは、近代的だと思うんだけどなあ。まあ、めちゃくちゃハードな山の修行とかは男だけだったと思うけど。

調べたことをざっと全部並べた感じだったけど、そこそこ問題意識は貫かれていて見やすいレジュメだったので、この調子で頑張って欲しいと思う。

案ずるより・・・だったかな? 

今日は卒論中間発表の二日目。昨日も書いたが、今日は僕が一応指導教員として担当している学生諸君の発表が集中していたので、気を抜けない日(特に午前中)だった。
僕以上に、学生の皆さんが神仏に昨晩も祈りまくっていたことだろう。まあ、実は僕自身それほど熱心には祈らず、他の先生方から面白いアドヴァイスや有益な視点の提供があればなあ、と思っていたくらいで、昨日はスヤスヤ寝ました。

午前中は、僕の担当のM井さん、I田さん、O田さん、K藤さん、Tさんと5連チャン(ジェットストリームアタックを超えています)。まあそれぞれ先生方から有益なアドヴァイスをもらったんじゃないか、と思います。「ちょっとあなたねえ」という感じで文句を言われたのがいなかったのは救い。まあ、逆に僕自身がけっこう色々文句や注文を彼女たちにはつけちゃったのだが。

午後からの長丁場は、はっきり言って死亡した。昨日からの疲れもあったし、正直言って準備不足の発表がちょっと連続気味で、先生の小言も多くなり、勢い時間がズルズル延びて、最終的には5時半前に終わる予定が、いつの間にか6時半になっていた。げふーっ。目がチカチカした。

全体的に見て、それほど先生から去年や一昨年のある事例ほど叱られたのがいなかったのは、双方共に幸いだったというべきだろう。後味悪いからね、アレは。
僕などは、学生の誰かが我々教員の研究室に忍び込んで、ポットにカルシウム剤でも混入させたんじゃないかとまで疑っていますが(笑)。
まあ、案ずるより産むが易しってやつでしたね、結局。

その後は、一杯飲まなきゃやってられない僕が、男子を誘って下鴨本通のなま○屋(去年の打ち上げもここだったなあ)にいって、軽く飲む(メンツはT田くん、N脇くん、K安くん、M原くん、そして同僚のI先生)。

卒論中間発表会―嵐の前の静けさ? 

今日は、一年に一度の(何度もあっちゃ堪らないが)イヴェント、卒業論文中間発表会。4年生がある意味一番疲弊する「一年で一番長い日」。二日にわたって行われるのだが、今日はその初日。

去年、一昨年とけっこうエキサイトする(軟らかな表現にしておきました)先生方がいらっしゃったせいもあり、今年の4年生は必要以上にビビっており(ホント、気の毒なほど)、昨日の夜から「もう寝られません、どーしよー、ぎゃー」とテンパっている人(S弘さん、発表はそこそこ上手くクリアー)とか、「先生、今日はまだ途中経過報告の中間発表って事を忘れないでくださいね」と間接的に「質問すんなよ」とのニュアンスでもって僕に半ば逆ギレ(まあ、それほどキレてなかったけど、長州小力並み)する人(Mさん、しっかりやってるじゃないの、感心)とか、壇上でアガってしまい、先生からの質問に対してとりあえず頭に詰め込んだ知識をはき出すことで防ごうとして却って立ち往生した人(Y田さん、自分で首を絞めるなっちゅーの、勿体ない)とか、無意識に穴がぽっかり空いた発表をして、その穴を修繕するために先生方が「あれやれ、これやれ」と指示する羽目になって、却って傷つかなかったおいしい人(N脇くん、ちゃんと自覚せえよ)もいたけど、まあ全般として、平穏無事に終わったと評して良いだろう。僕も、どちらかというと拍子抜け。

嵐の前の静かさでなければ、とただ祈るのみ。研究室への帰り道、Y口先生が「明日が正念場ですねえ」と言ってきたのには思わず苦笑。僕とY口先生の担当の学生が、軒並み明日発表なのだ。桶狭間だか、特攻だかよく判りませんが、できれば生還して欲しいです。

今日は寝不足で意識が一瞬飛んだりもしたから、今日は早めに寝ます。

彼は如何にして「仏教徒」となりし乎―アンベードカルについて 

今日は後期最初のゼミ。後期のゼミは、一人1時間たっぷり個人発表をするゼミになるので、予習の要らない僕及び発表者以外の者には楽なゼミになる。

今日は生憎内定式で、何人かの4年生は休みなのだが、この数ヶ月、彼らは卒論に向けて全力投球(?)せねばならない。まずは来週の「卒論中間発表会」で矢襖にならないようにせねばならないのだが、今日の発表者は、4年生のトップバッターとしてK藤さん。このところ、ずっと共同研究室に籠もって(友達と仲良くたむろして、という方が正確かも知れぬが)頑張っていただけのことはあるレジュメを出してくれた。

彼女の卒論のテーマは、インド現代史において著名な法律家アンベードカル(独立インドの初代法務大臣)。彼はアウトカーストに生まれながら、抜群の知力で出世し、余りにも差別的なヒンドゥー教に絶望して「仏教」(新仏教)に改宗して、惜しくも病に倒れた悲劇の人、というのがよく知られた人となりだが、彼女は、彼を苦しめていた「カースト」制度についての最近の研究や、文化人類学で議論されている「戦略的本質主義strategic essentialism」を駆使して、彼の生涯を捉えなおした発表をしてくれた。

彼女の発表で感心したのは、カースト制というのは、インド古来から連綿とつづく制度ではなく、イギリスの植民地統治政策やインドロジーと呼ばれるインド研究が、その「再構築」「強化」に大きく寄与している、という最近の見解を消化して紹介していたことだ。僕も大学の同級生のT澤がいなければ、そんなことはまったく知らずに終わっていただろう(彼女からの耳学問で、今日も偉そうなコメントを最後にできたわけだ。この場を借りて、T澤に感謝する)。
そして、アンベードカルの「仏教」への改宗問題も大きなテーマだが、彼は何故シーク教やイスラームではなく「仏教」を選んだのか、という問題も、今回の発表では触れられていた。

細かいことも調べており、初っぱなの個人発表としては上出来。このK藤さんの発表を見て、後続の者が気を引き締めてくれれば、と思う。お疲れ様。

追記:このゼミの後、OGのO合さんとO智さんが来たので、その勢いでK藤さん、Tさんと一緒に呑みに行っちゃいました・・・。
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