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年度最後のゼミコンパ 

今日、遅めのゼミコンパを突発的に挙行。

というのも、先日書いたように、ゼミの個人研究レポート冊子が完成したので、それを配るという目的と、このたび某大学院に受かったゼミ生のK藤さんをみんなで祝おうとの趣向で、北山の馴染みの居酒屋「又吉(マタキチ)」に向かう。
春休みで、4年生諸君は卒業旅行に行っていたり(M原君はバリ、T田さんはパリと、あちこち行ってしまっている)、3年生は就職活動などでつかまらず、参加者は少なめ(K藤さん、O田さん、K川さん、O澤さん、K本さん)だったが、開店直後の6時から10時頃まで喋り倒し、飲み明かし、食べ尽くした、という感じ。女の子ばかりだから大丈夫だろうと高をくくっていた僕を青ざめさせるような注文の仕方(笑)。特に「昼ご飯食べ損ねたー」と言っていたお騒がせ娘のしゃけことO澤さんが、いつもの事ながら、危ない飲み方。というか、この子は弱いのにぐいぐい飲んで、ばたっと倒れるんだよね。先生、気が気じゃありません。K本さんが「今日はよく頑張った方ですよ」と言っている横でばったり倒れていたりするのだ。もうちょっと頑張ってくれ。

あれだけ笑ったのに、話した内容をすっかり忘れているところが、もう年を取った証拠だろうが、飲み会での話というのは、パッと笑ってパッと消えていくのが良い。

来年度も、こうして楽しく締めくくれればいいな、と思いつつ帰宅する。
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ゼミ冊子完成、そして後書き 

今日、ゼミ冊子が完成して印刷所から送られてきた。
これで僕のゼミ冊子は四冊目。表紙は3年生のK本さんのアイディアで少し可愛らしい絵を入れたのだが、印刷の都合で潰れてしまった部分も多く、ちょっと残念。

以下に、この冊子に僕が書いた後書きを転載しておく。

後書き

 何か作業をしていてふと、「これを僕は数十年後、どのような思いで見ることになるのだろうか」と思うことがある。作業中のものを、頭の中で既に「思い出」として結晶させる作業を進行させつつあるのだろう。典型的には、記念写真を撮るような行為がこれにあたるだろう。写真を撮るという行為は、今現在をどんどん過去に追いやる行為なのだ。そして、実はこの小冊子を編集する作業もこれに他ならない。少なくとも僕は、この作業を通じて今年度のゼミを「過去のもの」と扱い、そのケリをつけ、「思い出」としつつある。
君たちは数年後、数十年後、どのような感慨でもって、この小冊子を開いてくれるだろうか。いや、その時には、この小冊子などは既に失われているかも知れないし、関わった人間の何人かは音信不通かも知れないし、はたまたこの世からいなくなっているかも知れない。しかし過去に関わった人は良かれ悪しかれ、既に我々の一部となっている。つまり「存在するとは別の仕方で(エマニュエル・レヴィナス)」、既に我々の中に居るのだ。僕は未来の自分がそう感じるであろう事だけを確信しつつ、この作業を終える。

ゼミ小冊子編集作業開始 

昨日の〆切に提出してもらったゼミレポートを、今度は小冊子としてまとめる作業をはじめる。
今回の目次は以下の通り。


・オタクについて―「萌え」とは何なのかを中心に―
・サッカーにおける差別・対立・衝突
・少年マンガの中の女性
・京女―ことばにやどる女性像―
・現代ジャーナリズムにおける「客観報道」の落とし穴
・女人禁制の現状とその“伝統”
・カナダ地域における毛皮交易とその影響
・日本における少子化―その背景と対応策について
・近代日本における母役割の重視と性別役割分業観の浸透
・戦略的本質主義としての「改宗」―B.R.アンベードカルの不可触民解放運動と「新仏教」運動―
・Graded Direct Methodと英語教育
・19世紀パリにおける近代消費意識の形成
・『紅一点論』の再考
・「シャーロック・ホームズ」シリーズにおける19世紀ヴィクトリア朝社会階級観
・現代バリ・ヒンドゥー教徒の宗教意識
・「ニート」言説から見る若年層批判の仕組み



改めてみると、一体俺は何学者だっけと思うようなラインナップだなあ。まあ、今年も楽しませてもらいましたが、やはり気になるのは、細かいミスが多い。あと、3年生と4年生の間の差が大きい。卒論を経験するとしないのとでは、かくも違うのかとちょっと愕然。細かいミスも同様だし、引用の作法とか、これから徹底して教えていかねば、と覚悟を決める。先輩の「薫陶」だけでは限度があるようだ。

あと、昨日ちゃんと確かめなかった僕も悪いのだが、レポートではなく、以前ゼミで行った発表レジュメを間違えて僕に送付したのもいたりして、そいつに「バイトがなければ今晩中にとっとと出せ」と命じる。いま、順番にプリントアウトをし直してページ番号を打っている最中なので、一人がそーゆーことやると、全ての作業が滞ってしまうのだ(彼女のファイルを待っている間、こうしてブログなどを書いているわけだ)。やれやれ。本来なら赤点ものだぜ。

口頭試問無事終了!! 

今日で、卒業論文及び修士論文の口頭試問は全て終了。いやー、疲れた。月曜日から今日の木曜日まで、4日間ぶっ通しだったもんな。同僚の先生方もお疲れ様でした。でも、同僚の「ああ、試問しているとどんどん自分が意地悪になっていくのを感じて落ち込む。私はもっと平和的な人間のはずなのに~」という魂の叫び(?)には笑った。僕もねえ、論文指導と試問の時だけ、妙にアグレッシヴらしいです。mixiの後輩からの紹介文でも「辛辣なコメント」「剛柔あわせ持った発言」なんて言葉があるんだから、自分でも意識しないままに、そういう場面では毒を吐いているらしい。ごめんね。普段の僕は、皆さん知っての通り、フレンドリーな良い人間です。

さて、僕は卒論8本、修論2本を審査した。私立大学に比べれば、少ない方ではあるだろうが、けっこう自分で言うのも何だが真面目に面倒を見ているので、1月中は往生した(今年、指導したのは卒論6本、修論2本)。少人数の大学だから、そういうきめ細かい指導も「売り」の一つだしね。でも実際、指導していて疲れる一方ではなく、知らないことを教えてもらったり、その成長ぶりを温かく見守ったり(特に10月の中間発表でめちゃくちゃだった奴が成長しているだけで、目を細めてしまう)、楽しく嬉しいこともあったのだ。大学教員冥利とはこのことだと思う。

そして、卒業生諸君は自分の書いた卒論や修論を忘れ、それを指導した先生も忘れていくのだろう。それで良い。それが当然だ。「先生」とは、忘れ去られることに慣れてしまった人間の謂なのだから。まあ、僕たちも君たちのことを忘れてしまうのだから、お互い様かも知れないけどね。
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