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アイデンティティ「問題」クライシス 

今日は今年最後のゼミ。発表者はH川君。発表タイトルは「日本人の宗教性や価値観の多様化がアイデンティティに与える影響について」というもの。えらく長く、盛りだくさん(良くも悪くも)。
彼は、アイデンティティといえばこの人、という感じでまずはエリクソンの「ライフサイクル(発展論)」を軽く紹介。乳幼児から老年期まで大体8つくらいのステージを経る、というもの。そして、いわゆる「アイデンティティクライシス」という思春期の「共通課題」に、どのような価値観(日本人の)が影響を与えるのか探りたい、といいつつ、どちらかというと「思春期」の話題は置いてきぼりのまま、「自由とか何か」という話題を佐伯啓志から引っ張ってきて「あれかこれかの選択を常に迫られている(初期実存主義みたいな話になってきたな)」現状の中、アイデンティティは見習うべき規範を失い、彷徨しているのではないかとか(佐伯さんの話を引っ張れば、そういう方向になるのは理の当然だが)、その次から話は急に、いわゆる「精神分析的日本人論」の方向へシフトしていった。要するに、彼の引用していた土居健郎(甘えの構造)、河合隼雄、小此木敬吾(モラトリアム人間)のラインですな。僕としては、デジャヴというか、僕が学生時代貪り読んでいた本のラインナップを復唱されているような、複雑な気分になる(笑)。それこそ「僕って何」という感じで、この手の本は一通り読みまくったからなあ、ついつい僕の彼の発表に対するツッコミは厳しいものとなる。最後は、河合氏及び阿満利麿先生の「日本人の自然宗教」(これも、昔僕が授業で教えたものだけど)が日本人のアイデンティティの中核をなしているのだから、それを道徳にまで高めることは出来ないか、ということ(と僕には聞こえた)という提言で発表は終わった。

で、残念ながら、今回の発表は、彼が興味を持って色々読んだ本を寄せ鍋のように投げ入れた感じで、それこそ「発表のアイデンティティがない」というか、結局何が言いたいのかが見えないものとなってしまった(コメンテーターのN山さんも困ったことであろう)。まず、最初の「青少年のアイデンティティ問題」から離れ、佐伯啓志や土居健郎的な「規範を失い、アイデンティティ確立も出来ないモラトリアム人間のような形態でやり過ごして本当に良いのか」という「道徳的」な話で着地してしまったからなあ(まあ、それに終始していれば、一本の筋になっていたが、日本人の宗教心とか、話が飛びすぎ)。というわけで、もっと話をまとめるようにと苦言を呈する。要するに、君は本当に何を明らかにしたいのかをみんなに判る形で提示せよ、ということ。それは僕が手助けは出来ない代物だ。
そして、引用の仕方があまりに大雑把で、これも叱る(参考文献のどのページを読めばいいのか、殆ど判らずじまい)。そして、エリクソンなどの原典(勿論翻訳書で充分すぎる)に全く触れておらず、まともな「精神分析事典」とか「カウンセリング事典」のようなもので調べ物をしていなかったことも減点対象。ウィキペディアはともかく、はてなダイアリーのキーワードはないだろ。僕もはてなユーザーだけどさ。というわけで、友人のこれまでの優れた個人発表のレジュメを読み返して、反省して欲しいと言って締めくくる(これはH川君だけの問題ではなく、全体に言えることだが)。

最後に、卒論を抱えた四回生に「はよ書きかけを出して俺に見せろよ」と脅して、ゼミ終了。
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民衆から何を奪い、何をもたらしたか 

このところ、わざと大仰なタイトルにしているのだが、今日はY村さんの「“国家神道”の成立と民衆への影響」というタイトルの発表。彼女はこれで卒論を書く。ある意味、僕の専門に一番近い(というか、ドンズバな)テーマ。それでは指導しやすいか、というと、実はY村さん(とかH沖さんとか)には悪いが、そうでもないんだな、これが。もちろん、参考文献というか、読むべき文献は頭の中でリストアップされているので、それを教えるのは簡単だが、「これも読んでないのか」とか「この定義はまずいんじゃないか」とか、知っているだけについつい粗とかが目についちゃうので、僕としては点がどうしても辛めになってしまうという弊害があるのだ。
というわけで、学生の皆さんにはわがままなのは百も承知しているのだが、僕としては、首をつっこめるけど、深くは知らないというテーマが一番指導しやすいのだ。

さて、彼女はタイトルの通り、明治初期からの神道国教化政策の流れと、それに伴う民衆の民俗信仰の抑圧(最近の流行の言い方をすれば、頭でっかちの「ビリーフ」的宗教が、実践(プラクティス)的な宗教を抑圧していく)と、国家神道システムの一翼を担った「教派神道」の中の金光教と天理教も取り上げ、タイトルのような問題意識でこれから頑張ります、といった趣の発表だった。もう一つついでにいえば、現在の我々の宗教意識を形成したと思しき、この「国家神道」というものを振り返りたいということが彼女の研究の動機であった。
僕としては、一世代前の「国家神道」研究の大立者たる村上重良と葦津珍彦の「おいしいとこ取り」をせよ、とまず言うしかない。それと、江戸時代からの浄土真宗の真俗二諦論を復習するとか、教派神道の中の「異端」であった金光教や天理教とその他の宗派の違いを鮮明にせよとか、調べる時期を限定せよとか(明治30年代直前までが限度かも、と思った)、安丸良夫、島薗進先生方の議論を消化せよなど、アドヴァイスはどんどん出てくるが、Y村さんの意見をどのあたりに挟むかが、実は最大の問題かも知れぬ。汗牛充棟とは言わないまでも、このあたりの研究は充実して、まとめるだけで手一杯ということがあるからね。ということで、ゼミ終了後、早速3冊ほどのごついのを貸してやることに(井上順孝、磯前順一、山口輝臣の三先生の主著)。

ま、Y村さんも含めて、4年生諸君は年末までに書きかけの卒論をはよ持ってきてね。年末はライブに実家通いと、僕は肉体的に暇がありません。

ゼミ合宿二日目 

さて、日付が変わっても、当然のように宴会は続くのであった。パーティーグッズを持参してきたものは余りいなかったが、UNOやらジェンガやらで嬌声があちこちで爆発(しすぎ)。僕が持ってきた「羽仮面」(先日、僕が誕生日プレゼントとしてもらった)を付けておちゃらける人も。
071202kawase_seminar 014(誰だかは秘密だ)
僕も寝不足もあって、2杯目の焼酎のお湯割りを飲んだあたり(確か午前3時頃)に一旦意識を失いかける。結局、午前4時頃、一旦お開きということにして、空き瓶、空き缶などを片付け始め、それを見届けて、僕は着替えもせず、そのまま布団に滑り込み三時間半ほど無理矢理寝る。
翌朝、8時に朝食。さすがに元気な奴はいない・・・かと思ったら、昨日から酒も飲まずにハイテンションのN浦さん(彼女がこれほどの人間とは思わなかったぜ)だけは、相変わらずのマシンガン・トーク。僕は朦朧として相槌を打つことも出来ない状態(彼女とシャケは「脳内物質フライング体質」であると認定)。そのような意識のまま、部屋の片付けをして、荷物をまとめ、再び大広間に戻って、今日は二人の発表。

一人目はOB澤さん。「マンガの中のジェンダー観」というタイトルで、主に北条司の『ファミリー・コンポ』を題材に、ジェンダー観を混乱させることを物語のドライヴにしている作品を考察。彼女は最初に伊藤公夫先生の「男性学」の成果を軽く紹介し(いわゆる「メンズ・リブ」ですね)、「男がいかにジェンダーに囚われているか」ということを確認し、その上で作品論に入っていった。なかなか面白い試みだと思ったが、何せ今回は一つの作品しか取り上げられていないし、彼女もこの作品だけだと長い考察は書けないだろうと思った僕は「もっと色々ジェンダー攪乱作品はあったはずでしょうから、たくさん取り上げなさい。戦いは数です」とドズル・ザビのような台詞を挟み、具体例として、最近のものとして志村貴子さんの『放浪息子』『青い花』などを推薦。
ラストはAK根君。凝り性の彼は、何と13ページにもわたるレジュメを作成。発表題目は「戦国・織豊期の都市と人々―イエズス会宣教師の視点から」というもの。タイトル通り、ルイス・フロイスの『日本史』や、ヴァリニャーノの『日本巡察記』などを主な題材として、当時の日本の城下町の特徴や、日本人の風俗がどのように捉えられていたかというのをピックアップした発表だった。色々読みこなし、よく調べていた好発表だったが、彼自身自覚しているように、総論的なまとめとしてはよかったが、彼自身の考えが出ていなかったことが惜しまれる。僕からは、どうしても思想史家(一応な)として、当時の人々がどのようにキリシタンの教えを受け止めていたか、イエズス会の日本人イルマン(修道士、例えばハビアン)などがどのような考えを持っていたかを見れば、もっと「文化交流史」というか、interactionを見ることが出来るのでは、とアドヴァイス。このようなアドヴァイスをしてしまうのは、僕が大学院時代に、K住先生の思想史ゼミに参加していたから。そのゼミで教えていただいたことで印象に残っているのは、キリシタンになった日本人がパードレ(神父)達に「私はあなたのありがたい教えを聞くことが出来て幸せだが、聞くことが出来なかった父や祖父母はどうなるのか、彼らを地獄から救うことは出来ないものか」と聞く、という「追善供養」の思想であった。中国でも、先祖崇拝をどこまで認めるかという「典礼問題」がイエズス会の最大の問題の一つだったが、日本ではこの「追善供養」的思考様式なのか、と大変印象に残っている。

ハードスケジュールで、最後に体調を崩したものが出たが、何とか京都へ帰還。
071202kawase_seminar 018(宿の前で集合写真)

追記:昼過ぎに京都駅で解散後、ゼミ合宿に参加したW竹君とN田さんと同期のI上さんとM原君(二人とも既に社会人)と合流し、久闊を叙する。その後、京都駅で偶然同学年のY浅さんまでつかまえておしゃべりの延長。結局夕方まで喋りっぱなしだったな・・・。

ゼミ合宿初日 

今年で通算3回目のゼミ合宿。
今年の会場は湖西線新旭の近くの旅館。今回のゼミ合宿幹事のN山さんとA部君に全てをお任せして、僕は文字通り手ぶらで参加(感謝!)。11時に京都駅に集合して、約1時間の小旅行(これくらいの距離が、遠すぎず、近すぎずでちょうど良いね)。
宿で借りた中広間という部屋の予約の都合で、夕方6時までしか押さえられないという事だったので、宿に到着した途端、1時半から6時までで4人の発表を立て続けにやらざるを得なくなる(早めにお酒飲んでも大丈夫なように、最初からそのつもりだったけど)。
発表風景
(発表風景)

まずはF原君の「近代アイルランドの言語とアイデンティティ」という発表からスタート。アイルランドは周知の通りイギリスの過酷な植民地支配を経て独立した国だが、今や「アイルランド語」話者は人口の1%ほどしかおらず(しかも、辺境と呼んでよい沿岸部に集中。アイルランド語話者の集住地域はGealtachtゲールタハトと呼ばれる)、圧倒的に「英語」の国となっている。しかし公用語としては第1公用語はアイルランド語、第2が英語なのだ。であるから、結論を先に言ってしまえば、タイトルとはある意味裏腹に、「もはやアイルランド語はアイデンティティの核となり得ない」という状況が彼から報告された。
彼の発表で興味深かったのは、19世紀のイギリス支配下で、あたかも沖縄で行われた「方言廃止運動」のようなことが公教育の場で行われた事とか、19世紀末頃からの「アイルランド民族運動」の文化面を担った「ゲール同盟」の活動だった。ついつい僕などは自分の専門に引きつけて、同時期の朝鮮半島の事を思ってしまう(実際、アイルランドと朝鮮半島は、支配者も被支配者もアナロジカルに見ることの多い「植民地」であった)。
僕のコメントは、「アイデンティティに言語は非常に重要なものであるが、出来ればカトリックなどの宗教的アイデンティティも見るべきでは無かろうか」という宗教学者っぽいコメントになってしまった。

2番手はH沖さん。彼女は「文明開化期の法制度による庶民生活の変化」という題目(これで卒論も書く)。彼女は、よく歴史学や民俗学で取り上げられる「文明開化がいかに庶民の民俗を変容させたか」というテーマに興味を持ち(去年、僕がそういう講義をしたからでもあるんだが)、明治初期の「違式詿違条例」(軽犯罪取締法)の「混浴・もろ肌取り締まり」という典型的なものや、各地方で出された断髪令を取り上げ、最後に、その時期に出された「男女違権論(要するに男女は別の役目があるという性別役割分担正当化論)」を取り上げた。最後の部分が中間発表にはなかったところで、今回の発表の「新しいところ」だったわけだが、ちょっと唐突。これまでの「法律による取り締まりによる庶民生活の変化」というテーマとリンクさせるようにアドヴァイス。

三番目はI子さんの「世界連邦運動―その歴史と現状」という発表。これは「世界憲法」を制定し、民主的な世界政府を作り(要するに国連の発展版)、国際社会を平和的に治める仕組みを作ろうというもの。彼女はその運動の歴史的沿革と、現在その運動に携わっている何人かの方にインタビューをし、それをまとめつつある。こういうインタビューは、僕も大学院生時代にやったことがあり、その時の質問紙などを彼女に渡してアドヴァイスしてきた。僕としては、そのインタビュー内容の分析を深め、オリジナルな視点を出すようにとアドヴァイス。また、世界連邦運動が、他の類似の運動とどう違うのか、ということも調べるようにと言い渡す(例えば去年僕がたまたま参加した「世界宗教者平和会議」という運動など)。

4人目はT野さん。彼女は「ジャーナリズムの「職業倫理」を模索する―事件報道に見る発達障害」というテーマで、いわゆる「発達障害」と称される障害を持った容疑者が犯してしまった犯罪はどう報道されてきたか、そしてその問題点は何か、というテーマ。彼女が具体的に取り上げたケースは、2000年5月愛知県豊川市で17歳の少年が「人を殺してみたかった」と述べた「豊川事件」と、2003年7月長崎市で中学一年生の少年が幼児を誘拐し駐車場から突き落として殺害した「長崎事件」の二つ。彼女のテーマは、門外漢の僕には的確なアドヴァイスが出来ないけど、とにかく今まで色々迷いがあった彼女がテーマをまとめつつあることは実感できたので、そのまま突進するようにと言う。

4名のバラバラの発表を聞くと、さすがにちょっとだけ意識が飛んだ(発表中「夢の世界」に逃避していた学生も多数)。夕食後風呂に入り、9時半頃から、なし崩し的に大広間で持ち込んだお酒とお菓子でエンドレス宴会に突入。毎年書いていると思うが、やっぱり僕の予想の斜め上を行く狂乱振りを示す学生が現れて、毎年新たな感動を催す(棒読み)。しかも、今年は、酒を飲まずにハイテンションになれる人が複数いたのが僕の誤算。宿の人から怒られるんじゃないか、と冷や冷やしながら飲む(以下次号)。
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