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キリスト教は何故日本に広まらなかったのか? 

今日はキリスト教宣教師たちの活躍振りと、日本に「進化論」などの世俗的な知識をもたらしたおやとい外国人の活躍を振り返る主旨の章を読む。要約担当者はK川君、コメンテーターはA部君とF田さん。
19世紀アメリカを席捲していた福音主義的信念を持った宣教師たちは、基本的に「文明化」=「キリスト教化」、もしくは文明とキリスト教の不可分性を信じ、その実践の一つとして、沃土に見えた日本に大挙して押しかけたのだが・・・というのが本編のあらすじ。僕の方から学生諸君に「文明と文化の違い」を色々聞いたが、そんな質問されるとは思わなかった、という反応が多かったな。みなさん、ゆめゆめ油断しないように。僕は時々意地悪になります。
A部君のコメントは、いわゆる当時の「進化論」及び「宗教進化論」を絡めた宗教学的なコメント、F田さんのは明治初期のキリスト教の受容のされ方を、僕が貸した森岡先生の本(ちょっと古いけど、名作)を参照しつつ述べたものだった。

日本の近代社会とキリスト教 (1970年)日本の近代社会とキリスト教 (1970年)
(1970)
森岡 清美

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お隣の韓国ではあれほどキリスト教が盛んなのに、いち早く宣教師を受け入れた日本がいまだに人口の1パーセントもクリスチャンがいないのは宗教社会学上最大の謎の一つとされてきたが(ちょっと大袈裟だけど)、実際熱心且つ人格高潔な宣教師が潮のように日本を訪れたのに、文化的遺産はともかくとして(ミッションスクールが典型的だが、彼等の遺産は大きいのだ)、宗教的遺産の少なさは何故かという疑問は常に僕の脳裏にもある。最後は「じゃあ、先生はどうしてだと思いますか」とN山さんに聞かれたので、僕の思うところをつらつら述べる。
要するにそれは、キリスト教が「家の宗教」になれなかったから、定着しなかったということ。別に目新しい説でも何でもないが、僕はこれが一番説得力があるとおもう。別の言い方をすれば、「先祖祭祀と深く関わることができるか否か」が広く受容されるかどうかという一番判りやすいメルクマールになるとすら思っている。これは、いわゆる江戸時代に形成された檀家制度が何故いまだに衰えずに、「葬式仏教」だとか陰口をたたかれながらも維持されているか、ということを考えればよいだろう。あれは上からの強制に沿って形成されたものではあるが、すでに「家の宗教」と化しているので、それを止めるには相当のエネルギーを用いざるを得ない代物になっている。
また、明治初期は「武士道クリスチャン」といわれたように、士族層が入信することが多かったが、これが仕える主君も政府もなくした「(精神的な)故郷喪失者」たる人々が、それまでのしがらみを全て捨てるという意味もあって多く入信したのではなかっただろうか(もちろん、当時もたらされた禁欲的なプロテスタンティズムが倫理性を重んじる士族に高潔なものとして受容された、ということもあろう)。
てなわけで、結局僕の方からする「明治宗教史概説」みたいな話になって今日は終わってしまったな。喋りすぎて済まない。けど、みんなももっと発言してくださいね。
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アメリカが見た幕末の日本 

今日から学部ゼミはちょっぴり高めのこの本。
アメリカ文化の日本経験―人権・宗教・文明と形成期米日関係アメリカ文化の日本経験―人権・宗教・文明と形成期米日関係
(2005/12)
ジョセフ・M. ヘニング

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タイトルから想像できるように、幕末維新期の日米関係において、文化的な「眼差し」はそのように変遷していったか、という日本における「オリエンタリズム」問題を考えるのに好適な本だと思い採用した。今日の要約者はN山さん、コメンテーターはK沼さんとF原君。
今日読んだ箇所で重要な点は19世紀からの「社会進化論」の潮流だろう。これは「反キリスト教」的な匂いを漂わせながら、日本など新興国家にも猛烈に受容された思想だからだ(本書ではスペンサーが紹介されたいた。ダーウィンはもうちょっと後で入ってくることになるだろう)。
N山さんは判りづらかったところを事前に僕に訊いたり、年表をつけるなど気配りをし、K沼さんはイザベラ・バードなどの外人の「日本見聞録」を数冊流し読みし、その面白そうな部分を引っこ抜いてくれ、F原君は神奈川県立図書館が所有している当時の外国人を題材にした錦絵(横浜絵)を取りあげ、その表象を(少しだけ)紹介してくれた。
今回要約及びコメントがそこそこ充実していたにも関わらず、議論が少なかったのが少し残念だった。今年の3回生がちょっとまだ慣れていないせいもあるかも知れないが、おとなしいんだよね。
去年は「喋らずにはいられない」人材(しゃけとかT野さんとか)がいたので、時々暴走はしても僕がそれほど介入しなくてもすんだのだが・・・。いなくなって判るその人の価値っていうのがあるんだよね(笑)。
来週以降はもうちょっと活発に議論して欲しいな(歴史的なものを取り扱っているから、知っているかどうかという点が大きいのも否めないけど、たとえある知識を知っていたとしても、それをみんなの議論の場に相応しい形で提供できるかどうかは別問題)。

初めての事態 

まずは大学院ゼミの方から。今回、初めてレジュメがコンパクトに収まった(笑)。これまで頑張ってくれたY本君もOK内君も、手書きのちょい長すぎるレジュメを切ってくれて、それを読むだけで時間いっぱいだったのだが、今日のH川君は6ページの比較的コンパクトなものを持ってきてくれたおかけで、いつもより喋れた気がする(いつも僕が喋りすぎなのはともかく)。でも、H川君が言うように、安丸先生の流れるような説明を聞いて「はあ、そうですね、勉強になりました」という感想以上のものを言おうとすると、大変になる。

学部ゼミは今日で「冬ソナ」の話は終わり・・・だったのだが、要約担当者の学生がドタキャンしたもので、コメンテーターのレジュメだけでせざるを得なくなる。このような事態は、僕がゼミを受け持つようになって6年目で初めて。しかもスタート直前にやってくれたので、僕としてもどうしようもなし。ちょっとプリプリしてしまう(学生諸君から見れば、ちょっとどころではなかったかも知れないが、あれでも大分押さえていたんである。罪のない君たちに言っても詮無いことだし)。議論は、コメンテーターのH野君が結構喋ってくれたおかげで助かった。あと、H川君が自分のこだわりから色んな質問をしてきたので、僕としても「私見」と断って僕のこだわりを述べる(「留学生優遇は各国に知日派を形成し、後々の役に立つからもっと投資するべき」とか「向こうから文句を言われないように先手を打つべく、歴史教育を重視することが一番」とか)。最後に、最近のコメンテーターのレジュメがちょっと手抜きっぽいので、せめて註に挙げられている参考文献や、関係ありそうなサイトなどを見て、新たな情報をみんなに分け与えるようなレジュメ作りを心掛けるようにお説教。

でも、怒ることがもう一つ出てきた。それは学生に対してではなく、学生の就職活動先やバイト先のことである。ゼミの後、居残っていた学生数名に茶菓子を振る舞ったのだが(昨日の法事でお裾分けされたもの。僕一人では消化できなかった)、特にN山さんの受けた仕打ちには、久々に義憤に駆られる。でも、僕が突っ込んでいくと色々問題が出てきそうなので「A部君、君、N山さんの兄貴の振りして、彼女のバイト先に文句を言いに行きなさい」とけしかける(もちろん冗談だが)。就職活動での仕打ちも、色んな学生から漏れ聞いているけど、どこまで学生の心を弄べば済むのか、という感じ。「みんなの就職活動日記」を覗き見てちょっと判ったつもりになっていた僕は反省(あれは検閲済みのものしが上がってこないのだそう。授業評価の「みんなのキャンパス」は検閲がなさそうだが。こちらは僕もよく覗いている。自分や友人の評価はついつい見ちゃうんだよね)。
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