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「困った親」の出現 

今日の発表者はM田さん。司会兼コメンテーターはK平さん。今日は卒業アルバム用のゼミ集合写真の撮影があったので、ちょっと遅れてのスタート。
タイトルは「困った親はなぜ生まれたか」というもので、要するにいわゆる「モンスターピアレント」についての発表。
この和製英語は、発表によると2002年頃から出現し、その後は猖獗を極める、という感じで使われているのは周知の通り。ただし発表者のM田さん及び彼女が引用したある本には「これはレッテル貼りで、相互理解の契機を失わせる言葉」であるとして「困った親」というニュートラルなタイトルになったわけだ。
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僕も今日は雑駁な感想めいた事しか言えなかったのだが、僕が思うに、「モンスター」というのは、ある意味そこでギリギリのラインはまだ越えていない事を逆説的に述べているのだと思う。「こんな親でも大丈夫」だとか「これくらいのクレームは当たり前」とはさすがにみんな思っていないわけで、「モンスター」を「モンスター」呼ばわりしなくなると(想像したくもないが)、本当に「終わってしまう」であろう。
あと、教育というのは公私の区別が曖昧になりがちな領域である事も重要だと思う。というのも、「全人的な関わり」を双方求めざるを得ないからだ。「私は技能を教えているだけで、生徒の人格形成には何の関心もありません」なんていうのは塾講師はギリギリ許されても(そんな事公言する奴はいないが)、学校の教員には許されない。よって、理不尽な「人格的要求」を引き寄せてしまう、という事はあろう。
もう一つ思いついたのは、「専業主婦」というものがいわば「贅沢」なものに戻りつつある(高給取りの配偶者しか許されない特権だった)昨今では、子育てに余裕のないそうが着実に増えて、問題を引き起こすのかも、なんてことも思った(データはないけど、直感)。
あと、学生諸君からの意見で印象に残ったのは「親子のペアルックなど、子供を自分の一部と見なす風潮(K浦さん)」とか、「田舎と都会の違いがあるのでは?(Tさん)」というものだった。Tさんの質問に対してM田さんは「田舎と大都会より、公害で目立つそうです」と答えていた。なんか、宮台真司っぽい回答が頭を巡って自分でも苦笑してしまう。あと、M田さんのような問題関心には、以下の本も参考になるだろう。

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これで、最後か 

今日は僕が所属する一方の専攻(現在、二専攻を兼担)の修士論文中間発表会。
この専攻は中国人留学生が伝統的に多く(なんたって、国際文化専攻、という名前だったのだから)、今日の発表者の4人中3人が中国人。
そして、困ったことに、中国人留学生の諸君の研究が、僕にとって「It's Greek for me」な感じ。江戸時代の文学とか(これは当然M利先生の指導)、王陽明の思想変遷(これは当然N先生の指導)で、この三連発は正直頭が朦朧としていてろくに質問もできなかった。済まない。最後の、僕が指導するH川君の発表(大本教についての発表)は、お役目と思って色々質問する(奴は事前に何の相談もしてこなかったので、僕としても初めて見るようなものだったが)。

淡々と3時間半ほどで発表会は終わる。今回は非常に穏やか。
この専攻は今のM2の諸君が修了してしまうと廃止になるので、このような中間発表会も、この専攻ではこれで最後、ということになる。もちろん我々教員は、今後も別の専攻に所属して、そこで中間発表会は延々聞くことになるのだが、今日は一抹の寂しさを感じて、先生方もあまりきついことが言えなかったのではないかと邪推している(これは、卒論中間発表にも言えることだと思うが)。僕は7回中間発表会に参加したことになるが、これは実は、この短い命で終わってしまった当専攻全ての中間発表なのだ(今まで出た修論一覧はこちら)。僕が赴任したのが、この専攻が発足して2年目だったので。もちろん同僚の中には、最初から最後まで、という方が大半だ(僕とM利先生、I上先生、定年で辞められたA阪先生、Y田先生、S川先生以外は全員、ということになる)。その方々の胸に去来するものはどんなものだっただろうか。
みんな帰宅して誰もいない4号館で、少しセンチメンタルな気分になりつつこの文章を書いている。

「愛され系」と「自分らしさ系」の対立 

今日はF井さんの発表。タイトルは「女性ファッション雑誌の比較―赤文字系雑誌とストリート系雑誌のファッションの見せ方の違い」というもの。具体的には、いわゆる「赤文字系」の代表とされる『CanCam』と、ストリート系の代表とされる『CUTiE』の比較研究、といったおもむき。
最近は、こういう女性雑誌に関するメディア論的研究がそこそこ出ており、最近の代表的なのは松谷創一さんの「差異化コミュニケーションはどこへ向かうのか―ファッション誌読者欄の分析を通して」という論文だろう。これは以下の本に所収。当然F井さんも参照していた。

文化社会学の視座―のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化文化社会学の視座―のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化
(2008/06)
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僕からすれば、3年生のトップバッターとしてなかなか頑張ってくれていたのだが、テーマが拡散してしまったきらいがあり、先週の卒論中間発表会で先生方からそういうことを指摘された4年生がここぞとばかり(笑)、そういう質問やコメントをするのには笑った。もちろん、そういう指摘は重要だけど、ゼミで僕が言ったように、そういう指摘はブーメランのように自分に返ってくるからね。
今回は、僕が口を挟む前に、鋭い意見が学生諸君の口から出た。良い傾向だ。以下、備忘録的につけた僕のメモによると、

「ファッションが本当に自由なのは、社会的な制約がない学生やフリーターだけでは?ファッションは優れて社会的なもの」(A部くん、N山さん)
「エビちゃんとかは理想的なロールモデルというか、ジェンダーモデルとして、男女ともに好かれるのでは?」(K浦さん)
「アパレル業界の思惑と無関係にストリート系ファッションが存在するわけではない。流行は作られるもの」(N山さん、Tさん)
「異性の目を気にするしないというのも重要だが(それが両誌の一番の差ではあるけど)、同性をライヴァルしするかしないかも重要なのでは(男性誌で同性をライヴァル視する事は少なかろう)」(F原君)



などが目立った意見だったか。
僕からは思いつきで、いわゆるコスメ専門誌という「極端に女性的な雑誌」はいつくらいから出現して、それにはどのような時代背景が存在するのだろうか、という疑問を提出。

最後に一つ僕の感想を述べると、『CUTiE』のお姉さん雑誌という位置付けの『In Red』だが、大体表紙に取り上げられる芸能人がYOUとか、Charaとか、キョンキョンとか、Paffyとか、りょうとか、まさに「アンチエイジングの代表例」みたいな皆さんなのは示唆的だなあ、と思いました。実年齢はけっこういっているけど、可愛い私、という自意識にぴったりな人選だよね。
あとは具体的に期間を区切って研究を進めて欲しい。今のところ、要するに「一般論」で終わってしまっているからね。結果としてその「一般論」を確認することになっても良いのだから。

今はしばし休め 

卒論中間発表会の二日目。
我々教員も、学生諸君も疲労が顔に出てしまっているが、大人になるための「通過儀礼(通過儀礼は分離、象徴的死、再生、という三要素が不可欠だが、果たしてこの発表会はそうなっただろうか?)」はこなさないといけませんので、淡々と進む。
僕などは、今日は自分が指導していない諸君ばかりだったので、却って気楽に不躾且つ無礼な質問を繰り出す。

司会者のM利先生のご人徳とご性格のせいで、予想以上にサクサク進行して、予定時間より早く終わってしまう。去年の我々の長引く「お説教」(ある学生の発表で、我々の「説教したい欲」に火がついてしまった事件というか、「事故」があった)を知っているみなさんにとっては拍子抜けだっただろう。実際、N山さんなどは「こんなにサクサク進んで良いんですか。今見ている3回生がこんなもんか、って来年なめてかかりますよ」とお節介な心配をしてしまうほど。まあ、大体歴史は繰り返すんだよね。「ものすごく先生方がエキサイトして大荒れ」→「それを見ていた3回生は、翌年まあまあ手堅い発表を心掛ける」→「比較的穏やかな発表会を見た新しい3回生は発表会をなめる」→「再び大荒れ」というループというか、サイクル。
最後にM利先生が「デジャヴ」とおっしゃっていたが(笑)、毎年同じことで僕たちはひっかかるんだよね。一番多いのが「先行研究をまとめたのは判ったけど、君の意見は何処?」というもの。それをこの3ヶ月で考えてください。とりあえず、今はしばし休め、とゲッセマネのイエスの気分です(今から、僕こそ「飲まなきゃやってられない気分」なので、学生諸君の打ち上げに乱入しますが)。

卒論中間発表初日 

さあ、今年もやってきましたよ、この季節が。
去年のあれからもう一年か、と思うと、ホント、あっという間という気がする。
今日も朝から十数名が大人しく「被告席」について、厳しい検察官(大体他分野の先生)からの質問やら、弁護人(たる指導教員)から軟着陸に至れるように手ほどきされたりと、毎年おなじみの光景。
僕が指導している諸君はほぼ全員今日で発表が終わったので、ある意味それほど荒れなかったことにほっともしているが、一面物足りないというか、他の先生方もけっこう丸くなったなあ、と感慨ひとしきり。
これのおかげで講義が休みなのは良いのだが、全く知らない分野の話を聞くことにもなり、楽しさ三分の二、つらさ三分の一といったところ。
壇上に立つとさすがにみんな緊張するようで、いつもは明るく度胸がありそうな学生が「ああああああ」という感じで慌てたり、テンパっちゃって先生からのアドヴァイスが全く耳に入らない状態(外からはよく見える)になったり、けっこうもろさを露呈したりする。もちろん、逆に落ち着き払っているのもいますけどね(そういうのは自信があるか、「ここまでしかできなかったんだから」という形で開き直っているかだと思うけど)。僕から見れば、事前にレジュメを見た学生は「この辺突っ込まれるだろうな」と僕が予想したことろがずばり突っ込まれていたので、意外性はほとんど無し。

でも、実は今日の発表会より、その直後に行われた三時間にも及ぶ生協理事会の法が体力を消耗したというのは内緒だ(笑)。もう、長いよ・・・。最初「ビール飲んでから就寝」と思っていたけど、今のところ「泡盛の水割り飲んでから就寝」に格上げ(なほど疲れています)。さて、帰るか。

後期ゼミ開始 

今日から後期ゼミ(学部)の開始。
後期の僕のゼミは、一人1時間の個人発表を延々続けるので、僕としては予習は要らないし、学生諸君から耳学問させてもらえるしで、楽しいことこの上ない(笑)。
今日の発表者はTさん。本当はK浦さんも発表者だったのだが、どうしようもない事情により、ドタキャンとなったので、予定の半分で今日は済んでしまった(彼女は、しょうがないから、合宿中にでも発表してもらいましょう)。
Tさんの発表題目は「京都観光と外国人観光客」。これは彼女の卒論のテーマそのものでもある。今日の発表は、来週の「卒論中間発表会」の予行演習のようなおもむき。司会者兼コメンテーターはF本さん(初めての割には、なかなかの司会ぶり。ただ、最後に僕に発言を促さなかったことだけが減点。そのまま終わらせようとしやがって(笑))。
Tさんはまず、京都市は観光客誘致のためどのような活動をしているかを調べ、実際に京都市産業観光部の課長補佐のある人にインタビューをしてきた。今日の発表は、そのインタビューの紹介がメインだった。要するに、日本の京都観光市場はほぼ飽和状態になるので、これからは国策上も外国人観光客の誘致が大きな課題であり、そのために色々方策を練っている、ということで、具体的には外人向けのガイドの充実や、パンフレットの配布、観光博(そういうのもあるそうだ。びっくり)への積極的な参加などが報告された。
彼女の発表でもう一つ大きい課題は、実際の外国人観光客へのアンケート調査。質問は「京都市が作っているサイト(Kyoto Official Travel Guide)を知っているか」というのと「京都観光のよいところ・悪いところをあげてくれ」というもの。まだテストとして数名に行っただけなので、何とも言えないが、観光客へのインタビュー方法について、N山さんから「テンションも高い観光客なら陽気に答えてくれるので、絶賛に近い回答ばかりになるのではないか」というもっともな疑問を提起。僕もそれは思った。というより、インタビューではこれは常に付きまとう問題で、「インタビューされる側はインタビュアーの立場を思いやり、答えを変える」問題は文化人類学、社会学、民俗学でいつも問題になっている。一昔前の民俗学の冗談で、村の古老に話を聞きにいったら、彼の本棚には柳田全集が・・・というのが思い出される。あとはアジア系の英語の苦手なみなさんへどう話を聞くのか、なども提起された。これもおおきな問題。
コメンテーターのF本さんからの発言で面白かったのは、彼女が内閣府のデータを引っ張ってきて示した全国都道府県の観光宿泊者数(上位は北海道、千葉県、沖縄県、静岡県、長野県)と、「京都市が勧めているメニューの多言語化が進むと、却って京都の情緒が無くなっていくのではないか」という質問。これは考えさせられた。多少の「不便さ」が異国情緒を醸し出す、というのは考えられる。僕も勝手な話だが、ヴェトナムのホーチミンで日本語メニューが出されたとき、ちょっとがっかりしたものだ。その土地の「真正性authenticity」を失わずに開かれていく、というのはけっこう難しいかも知れない。しかも、その「真正性」が観光資源そのものなのだから、けっこう二律背反な問題だよなあ、とも思った。
で、ゼミの雰囲気だが、僕が出しゃばらなくなったせいか、けっこうみんな発言していて、非常に宜しゅうございました。今後もこの調子で頼むよ。
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