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日本宗教の特性とは?―カクレキリシタンから考える 

今日が2008年度ゼミのラスト。発表者はH山さん。コメンテーターはH野君(彼は今週発表とコメント両方立て続け。お疲れ様)。H山さんの発表タイトルは「日本の宗教の特徴をもったキリスト教」というもので、具体的には、長崎の五島列島のカクレキリシタンの紹介と、その信仰世界の特徴を考察したものだった。カクレキリシタン研究といえば、大変蓄積の分厚い研究領域であり、宗教学においても東大宗教学科初代教授の姉崎正治から始まり、その後古野清人がその衣鉢を継ぐ形で優れた研究をなし、現在では宮崎賢太郎先生がその分野を牽引していることは衆目の一致するところであろう。
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宮崎 賢太郎

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H山さんはまずざっとした五島列島のキリシタンの歴史を紹介したあと、現在まだ残っている五島列島のカクレキリシタンの組織や信仰にも触れ(実は、5年前の卒業生で、五島列島出身のI江君というのが島のお爺さん方をインフォーマントにして調査して卒論を書いたことがあるので、僕には馴染みのある話だった)、カクレキリシタンに忍び込んだ、というか、その信仰と習合した日本の宗教とはどのようなものだったか、ということを考え、大きく分けて「現世利益」と「先祖崇拝」がカクレキリシタンの今や不可欠な要素となっているのでは、と結論づけていた。ここでいう「現世利益」とは、豊作や健康を祈る年中行事の存在が代表的なものであり、「先祖崇拝」は、ヨーロッパの信仰世界と大きく違う点であることは論を待たない。
僕は、実はある先生からの受け売りなのだが、彼女の発表に対して「先祖崇拝、というのは勿論そうだが、それと同時に重要だったのは、子孫が既に亡くなった先祖のために何か手助けしたい、という思いをくみ上げる追善供養という考え方だったのでは」とコメントをいう。これなどは、彼女も引用していたフランシスコ・ザビエルの書簡にも「日本人がキリシタンの教えを聞かずに死んだ自分の先祖は何とかできないかと聞いてきて困る」とあることからして、重要だと思う。彼女は「禁制時代のカモフラージュとしてだけでは説明できないカクレキリシタン信仰の習合振りをどう考えるか」という問題意識から出発していたので、追善供養のような部分を掘り下げるようにアドバイス。
お隣の大学にも行って資料や本を見せてもらった甲斐もあって、なかなかよく調べていた発表で一安心。

あとはゼミの最終レポートを待つばかり。やはり、少し寂しさを感じる。それもあって、ついつい「ゼミの打ち上げ」を突発的にやってしまう。場所は河原町のアジビルの裏にある沖縄料理店「オリオン食堂」。参加者はあやちゃん、みどりん、よしくん、へぱ、なんちゃん、ひもたくん(敢えてあだ名でコール)。今日はゆっくり泡盛の水割りを飲んで、気分良く帰宅。
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階級社会とレイシズム 

今日は年明け最初のゼミ。発表者はH野君。司会者兼コメンテーターはK山さん。
H野君の発表タイトルは「05年秋の暴動に見るフランスの郊外問題」というもので、移民の若者が中心になった(とされる)例の暴動から、低賃金労働者、移民の家族、不法滞在者などの問題を調べたもの。よく知られるように、フランスの大都市の「郊外(シテ)」は、移民労働者を受け入れるために作られた場所が多く、文化的施設は二の次となり、一種の「ゲットー化」が心配されている。
彼が準拠した本で重要なのは、宮島喬先生のと、別冊『現代思想』だな。
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(2006/11)
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難しいネタをどう料理するのかな、と思ったけど、しっかりまとめ上げていて、なかなかのでき。少し、参考にした人の意見をそのまま書きすぎて、みんなからの質問に「うっ」となる瞬間がないでもなかったが、ここまで調べていればいいレポートは書けるだろう。
特に、Tさんからの「本文では移民問題だけではない、といっているけど、結局移民問題、人種問題としての結論ですよね」という指摘は一番のクリティカル・ヒット。これは車を燃やしまくったあの暴動の主体が実はほぼ半分は貧しい白人層だった、という調査があり、そこから「単なる人種的問題、移民問題に還元できない」という萱野稔人さんの議論を紹介してしまったがゆえのツッコミだったのだが、要するにあの暴動は、フランス社会の「人種差別性」と「階級性」そしてもう一つ付け加えるなら、アファーマティヴ・アクションなどを「個人の尊厳を冒す」として認めない個人主義が横たわっている、ということも重要だろう(もちろん、「小さな政府」論というネオリベ的な流れも昨今では重要だろうが)。
そして、あの暴動に「断固たる」態度をとったサルコジが、今やかの国のトップなのだ。つまり、フランス全体としては、「サルコジ的」とでもいうべきものが静かに浸透しているとは言えそうだ(あまりよろしくない気もするが)。
余談として、僕は昔見たジャック・ドワイヨン監督の「ピストルと少年」という映画を紹介。あの映画のパンフで、蓮實重彦先生がフランス社会が以下に階級的か、ということを述べていたので。
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