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過剰人口、という言い訳 

今日もノーグレンの本の続き。今日は3章、4章。要約はF瀬さん、コメントはK坂君とTさん。
中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策
(2008/08)
ティアナ ノーグレン

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今日の内容は、戦前(江戸時代も含む)の状況と敗戦直後の日本の「リプロダクション」政策と傾向についてのざっとした通史。
まずは「間引き」とか堕胎は江戸時代から度重なる禁令にもかかわらずなされていたこと(明治初期にも当然禁止され、産婆がそのとばっちりで弾圧されたりした)、そして富国強兵を目指す日本は当時の「人口=国力」の発想から「堕胎罪」を刑法に載せたりして、その後マーガレット・サンガーの産児制限の考え方とか、はたまた優生学なんかも入ってきたりして、日本の家族計画運動は最初から優生学的なものに感化されていたことなどが記されていた。
僕は数年前ゼミで取り上げた『青鞜』誌上の論争や与謝野晶子、山川菊栄等のなどを軽く紹介。
与謝野晶子評論集 (岩波文庫 緑 38-2)与謝野晶子評論集 (岩波文庫 緑 38-2)
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山川菊栄評論集 (岩波文庫)山川菊栄評論集 (岩波文庫)
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『青鞜』を読む『青鞜』を読む
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新フェミニズム批評の会

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で、日本は戦時中はナチスにも影響された優生学的政策を採ろうとしたが(厚生省の設立も戦時中だ)、何故か「強制的不妊手術」はほとんど行われず(ハンセン病者などは行われたことは忘れるべきではないが)、過剰人口を侵略の口実にしていた戦前の反省から(ナチスも「生存権」という言葉で同じようなことをいっていた)、本国では中絶が禁止されたり、強制的な断種法があったにもかかわらずアメリカ(GHQ)は、日本の過剰人口を抑制するために合法的な中絶と産児制限が必要だと判断した。要するに、日本の場合は「宗教」だとか「倫理」よりも過剰人口を抑えて軍国主義に走らず経済復興に向かうという「国益」から中絶が認められたのだった・・・というのが今回読んだ部分の要点。
過剰人口、ということについて、僕から少し補足説明。これは、日本近代史を見ると、朝鮮、台湾、満州への移民という流れに先行して、当然だが、人口過密地帯から都市部や北海道への人口流出があったわけで、札幌の横の「北広島」の話とか、沖縄系が多い南米への移民の話とか、余談も少し挟む。
K坂君のコメントは、レトリックとして非常に面白いものだった(彼はよく遅刻とかもするが、時々鋭い意見も言うのでつい許してしまう)。彼曰く、「文化的要因が日本人の中絶・避妊に対する考え方の形成にそれほど関与しなかったといいうこと自体、とても日本らしい現象だと思ってしまうのである」。逆説的な表現だが、なかなか巧いことを言う。僕はこれを借りて、強制的不妊手術が日本で一般に拡がらなかったのは、国家の強制力のなさもさることながら、いざとなれば中絶すればいいや、という形でなし崩しに認められたからであって、断種法を制定したり手術をしてしまっていた欧米諸国の方が、生命の誕生そのものに非常なこだわりを持っていることが透けて見えるのだ、と考えを述べる。
Tさんのコメントから、戦後すぐの「パンパンガール」についての(暴言に対する)問題提起と(当時の学者で「パンパンガールの大半はもともと望まれない子どもだったんだから」なんて言うようなひどい奴がいたのだ。「悪い連中がねずみ算式に増える」という優生学の教科書的な発想からだろうけど)、現代的な話題として性教育に関する問題が取り上げられた。性教育って、言うまでもなく大事なんだけど、どの時期に、どこまで大っぴらにやるかは悩みどころだよね。ある学生が「中学生の時結構生々しい話をされてショックだった」という証言もしてくれたし。その辺のことは結論は出ないけど、Tさんのコメントにあったのだが「性を大っぴらに語るのを好まない日本人(それと反対の欧米)」というようなステレオタイプは危険だよ、とやんわり釘を刺す。日本なんかはコンビニでポルノが買えるくらい境目が曖昧だけど、欧米はポルノショップに行かないと見れないとか、「ライン」がはっきりしているというのが僕の印象。
今日はこんなところかな。
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保守派オヤジになりきれば 

今日から本格的な輪読ゼミ。読むテキストはノーグレンの『中絶と避妊の政治学』。今日は第1章と第2章。要約担当はH川君、コメンテーターはM嶋さんとI田君。
中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策中絶と避妊の政治学―戦後日本のリプロダクション政策
(2008/08)
ティアナ ノーグレン

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内容は、戦後日本では、避妊対策が立ち遅れた代わりに中絶は例を見ないほど早く合法化されるという特異性があるが、その理由を文化論(例えば日本には中絶を許容する文化的背景がある、など)に求めず、様々な「結社」がせめぎ合うコーポラティズム的な社会制度、中間的集団の角逐の「結果」なのだということをノーグレンが最初に主張している部分だった、とまとめられるだろう。
これに対してコメンテーターのI田君もM嶋さんも、「もうちょっと文化的な背景も考えた方が良いのではないか」というような意見を表明する。宗教学者である僕も、ある意味当然そう考える(傾向性、としてね)。
M嶋さんはピルに関わる様々なサイトも見て予習したようで、なかなか面白いコメントを寄せてくれた。みんなの意見としては「ピルそのものに関する知識が決定的に不足していること」「医者の処方箋が必要で且つ毎日飲まねばならない、というハードルの高さ」という「ピルが普及しない理由」が当然あがったわけだが、僕はある意味挑発的且つ問題提起的に、嫌な「保守派のオヤジ」になりきって、「ピルなどを解禁したら、女性が自分の体を完全にコントロールして、フリーセックスに走ってしまう。それにコンドームは男が積極的に避妊に関わるという責任感を伴う立派な避妊法だ」という意見が出たらどうする、とみんなに問い掛ける。今まで散々保守派のしょーもない「純潔教育」に関する報道などは見聞きしてきたので、なりきるのは簡単。でも、こういう保守派の言動を「また何か言っているよ」と小馬鹿にできないのは、東京都の養護学校での性教育の騒動を見ても明らか。
OS木さんからの意見だったが「ピルに抵抗があるのは、薬そのものに対する拒否感というか、自然のままが一番という感覚もあずかっているのではないか」と述べて、みんな頷く。これは僕にも当てはまる(喘息薬だけは服用しているが、その他はできるだけ飲まないようにしている)。お産に関しても「痛みを伴ってこそお産」という考えが主流で、無痛分娩などはなかなか聞かない。
予想以上に皆さん面白い意見を言ってくれたゼミとなった。
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