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巡礼と観光 

今日の発表はO崎さん。タイトルは「ヨーロッパにおける旅の歴史」というもの。コメントはS原さん。
まず彼女は昨今の観光に関する議論(いわゆる観光社会学、観光人類学関係が多い)を手短に紹介してくれた。僕はほとんど知らない論者ばかり。ネタもとは以下の本らしい。
観光のまなざし―現代社会におけるレジャーと旅行 (りぶらりあ選書)観光のまなざし―現代社会におけるレジャーと旅行 (りぶらりあ選書)
(1995/02)
ジョン アーリ

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幻影の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)幻影の時代―マスコミが製造する事実 (現代社会科学叢書)
(1974/10)
D.J.ブーアスティン

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そのあとヨーロッパの具体例として、19世紀に始まる「パッケージ・ツアー」の創始者であるトーマス・クック、巡礼地として今も名高いスペインのサンティヤゴを紹介した。以下はそのネタもと。
トーマス・クックの旅―近代ツーリズムの誕生 (講談社現代新書)トーマス・クックの旅―近代ツーリズムの誕生 (講談社現代新書)
(1996/06)
本城 靖久

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旅する人びと (ヨーロッパの中世)旅する人びと (ヨーロッパの中世)
(2009/02)
関 哲行

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実は、僕の知り合いで最近このサンティヤゴ巡礼を敢行した人がいるので、僕としては面白く聞いたのだが、彼女は先行研究の概略を示すのに一生懸命で、それを「道具」として分析することがどうしても不足していたので、そういう苦言を呈する。
観光人類学の出発点は「我々は、白紙の状態で旅をすることもできないし、受け入れ側も白紙の状態で待つことはできない」というものだが、今度問題になるのは、それでも変わらない構造だとか、それをしたたかに利用する活動、ということになるだろう(観光地化されたところを敢えて避けて「秘境」に向かう、というのも最近ならありがちな「反応」である)。
今回は予想以上にみんなから意見が出てきたが、一致していたのは「昔に比べてカジュアルになった旅の意味」ということと、「旅がもたらす個人の意識変容の問題」をどう扱うべきか、ということである。そのあたりも考えて深めて欲しい。
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日本人の動物観 

今日の発表者はH川君。コメントはI田君。H川君の発表題目は「日本人の動物観」。これが彼の卒論テーマでもある。日本はよく知られるように、動物や無機物まで「供養」してしまうわけだが、こういう風習は、いわゆる西洋由来の「動物の権利」だとか「アニマル・ウェルフェア」とどう違うのか、というのも、僕としては彼にしっかり考えて欲しいこと(今回の発表は、日本の「不殺生」だとか「肉食禁止」の歴史の紹介に追われて、そこまで行けなかったので)。彼のネタ本は、以下のようなもの。
アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理アニマルウェルフェア―動物の幸せについての科学と倫理
(2005/06)
佐藤 衆介

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人と動物の日本史〈4〉信仰のなかの動物たち人と動物の日本史〈4〉信仰のなかの動物たち
(2009/04/09)
中村 生雄

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日本は天武朝の時から「肉食はまかりならぬ」と言っていたり、「延喜式」でも「穢れ」というかタブー視扱いしているので、基本的に肉食は、仏教思想の影響もあり影でこそこそ、という歴史を延々積み重ねてきた、ということは言えそうだが、それが現在、どう引き継がれているか、というのは微妙な問題。何たって、強烈な肉食文化もなかったせいで、精進料理はともかく、ヴェジタリアンも、いない訳じゃないけど、それほど目立たないし、日本人の大多数は肉食自体をタブー視することはほぼ無いといってよかろう。でも、屠殺場の脇に慰霊碑を建てたり、大学や研究施設では、実験動物の慰霊祭を行ったり、無視できない「宗教的な営み」が存在する。H川君のこれからの課題は、そういう実例を山ほど引用して、現在の我々の動物観がどう形作られるようになったかを考察することだな。具体例が大事。抽象的に理屈をこねくり回したり、「キリスト教文化と違って」などという安易で大雑把すぎる文化論に逃げてもダメ。「慰霊と顕彰」という、近代日本では軍事と切っても切れない宗教性も考察する必要が出てきそうだ。そのあたりの歴史的経緯は、池上良正先生のこの本に詳しい。
死者の救済史―供養と憑依の宗教学   角川選書 354死者の救済史―供養と憑依の宗教学 角川選書 354
(2003/07/31)
池上 良正

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コメントで、K坂君が「どうして欧米の動物愛護(例えばイルカ猟反対とか)は、ああファナティックに見えるんでしょうね」という質問をする。僕としては、イルカを「我々」の側に入れている彼らの思考枠組みの問題もさることながら、彼らが「日本は近代文明を受け入れた文明国の筈なのに(こんな野蛮な風習を残して)」という一方的な思いがあるからかも、などと解説する(全くの思いつきだが)。

日本におけるホスピス 

今日の発表者はF瀬さん。タイトルは「ホスピスから考える終末期医療」というもの。コメンテーターはI田さん。
実は、僕は宗教学の講義の中でホスピス問題について解説しており、ゼミの諸君の大半もそれを聞いていたはずなのだが、すっかり忘れているらしいことが判明(笑)。まあ、僕だって学生時代の講義について「あの先生のは面白かったな」という印象は覚えていても、習った内容はスッカラカンなんだけど(一部は血肉化していると信じたいけどね)。
F瀬さんはホスピスのあらましをざっと述べ、「安楽死」との違いや、QOL概念とその問題点、そして在宅ホスピスの動きなどを総花的に紹介して発表が終わったのだが、正直いって、説明不足の感がぬぐえなかった。というのも、日本におけるホスピスの歴史の概要がすっかり抜け落ちて、今現在の「ホスピス協会」の公式サイトの見解の引用などに頼っていたから、背景が判りづらかったのだ。あと「現場の声」も一切取り上げていなかったのも惜しまれる。というわけで、レポートを書くときには「日本におけるホスピスの概要」と「家族やスタッフの生の声」を書籍から引用するように指示。I田さんが参考にした本にも、色々載っているようだし。
医療はよみがえるか―ホスピス・緩和ケア病棟から医療はよみがえるか―ホスピス・緩和ケア病棟から
(2001/05)
高橋 ユリカ

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人間らしい死をもとめて―ホスピス・「安楽死」・在宅死人間らしい死をもとめて―ホスピス・「安楽死」・在宅死
(1999/03)
生井 久美子

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あと、WHOの「健康」定義についての論争や、「スピリチュアルケア」の問題も調べるようにと指示(ググればすぐ出てくるし)。

既存のジェンダー秩序に囚われているのは誰か? 

大袈裟なタイトルだが、これは今日のTさんの発表に触発されて、僕がずっとゼミ中に思っていたこと。彼女の発表タイトルは「現代の若者の恋愛・結婚観について―話題の草食系男子を中心に」。というもの。コメントはF田さん。
これはいうまでもなく、森岡正博先生が広めた概念だが、今や女性誌なんかで「草食系男子の落とし方」なんて特集が組まれたりもしている(逆に、男性誌では「草食系」という自意識が男子の側にないせいか、草食系男子を雑誌の特集で扱うことはほとんどないそうな)。
草食系男子の恋愛学草食系男子の恋愛学
(2008/07/16)
森岡正博

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発表事態はサクサク早く終わりすぎて、それには苦言を呈したが、それは彼女が折角持ってきたデータを分析したり細かく説明しなかったから、時間が余ったのである。彼女が持ってきたのは、「草食系・肉食系」「経験豊富・奥手」などの対立軸で作り上げられた類型の表やら、「男は男らしく、女は女らしく」ということに関する各国高校生の意識の違いとか(日本が日中韓で一番低いのは予想済みだったが、米国が中国に次いで「男らしく・女らしくあるべき」が高かったのは驚き)。類型論に細かく突っ込みを入れるだけでももっと議論は深まったと思うので残念(最後に僕はコメントしまくったけど)。僕が特に問題と思ったのは、類型論で「奥手の中身草食系・外側肉食系男子」というもの。これって、ある意味一番既存のジェンダー観に囚われているんじゃないの?
今回はみんなも突っ込みやすいネタだった性で、活発な意見が出たのは幸い。特に、K坂君の「体育会系の現象及びネタ化」という問題的は重要。
今後は僕の貸した韓国に関する本も読んで、深めていって欲しい(韓国の軍事重視主義が男尊女卑的雰囲気にドライヴを掛けている、という議論)。
韓国の軍事文化とジェンダー韓国の軍事文化とジェンダー
(2006/11)
権 仁淑

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