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ラストゼミ―水銀と犬神 

またまたタイトルが訳判らないことになったが、これも、今日のお二人の発表のネタをそのまま合成させたもの。要するに、僕のゼミが「カオス」ってことですね(笑)。今日は学部のラストゼミ。そして、ついでに言うと、僕が今勤めている「国際文化学科」という、廃止が決まった学科の、3・4年生が合同で行うゼミのラストでもある(来年は4年生と留年生だけ)。そう思うと、少しセンチメンタルな気持ちにもなる。

一人目は、O田さん。発表タイトルは「古代日本における水銀の重要性」というもの。思いっきりネタとしては古代史で、僕はまったく歯が立たない。『播磨国風土記』に、恐らく水銀の女神というか、水銀採取に携わっていた氏族の神である「丹生都比売(ニウツヒメ)」の記述があるそうなのだが、彼女はそこから話をスタートさせ、全国に散らばる「丹生」という地名や神社などの存在から、古代日本において、貴重な染色の材料でもあった水銀がどう扱われたかというのを調べようとしたもの。一番このあたりを研究しているのは、以下の本のようだ。
丹生の研究―歴史地理学から見た日本の水銀丹生の研究―歴史地理学から見た日本の水銀
(1970/11)
松田 壽男

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古代の鉄と神々古代の鉄と神々
(1997/10)
真弓 常忠

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水銀はありふれた鉱物だが、さまざまな用途に用いられ、呪術的には「不老不死の薬の原料」と見なされ、いわゆる「練丹術」が発達したのはよく知られている。古代中国の皇帝や貴族が水銀を飲みまくって中毒症状を起こしたとも言われているし、日本においては、奈良の大仏の鍍金の際に、蒸散する水銀に作業員がやられた、ということも良く言われる。彼女はその他にも、神武東征の際の「宇陀のエウカシ・オトウカシ」の兄弟を平らげる話の中で、水銀と思われる記述があること等を引用し、その重要性を指摘したのだが、素朴な疑問として、冒頭の「丹生都比売」自体が、渡来系の他の神に取って代わられたり、製鉄をつかさどる神はたくさんいるのに、水銀の神はそうでもないなど、理論的にも弱いところが見受けられた。参照軸として、製鉄の神などとの比較が今後必要であろう。

二人目はI賀さん。彼女は遅刻してきたので、まずそれを叱る。発表タイトルは「憑きものから見る日本の神観―犬神を通して」というもので、民俗学では一昔前の鉄板のテーマだな。
日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)日本の憑きもの―社会人類学的考察 (中公新書)
(1999/10)
吉田 禎吾

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憑きもの持ち迷信憑きもの持ち迷信
(1999/10/22)
速水 保孝

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日本の憑きもの―俗信は今も生きている日本の憑きもの―俗信は今も生きている
(1999/05)
石塚 尊俊

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憑霊信仰論―妖怪研究への試み (講談社学術文庫)憑霊信仰論―妖怪研究への試み (講談社学術文庫)
(1994/03)
小松 和彦

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このあたりが、彼女の主要参考文献。まあ、誰でもそうなるわな、このテーマでは。
彼女は上記の参考文献を中心に「蠱毒」やら「犬神」「狐憑き」などの事例を挙げて説明していったわけだが、眼目は、「狐」には「神」はつかないのに、何故「犬」には「神」がつくのか、その違いは何か、ということだった。なかなか面白い着眼点だが、せっかく犬神を扱っているのに、かの有名な「いざなぎ流」の言及がなかったり、社会学的な考察が途中で終わっていたりして、その点が惜しまれた(M山君がそのあたりを的確に指摘)。最後に、「憑きもの筋差別の力学」を社会学的に説いたものとして、島次郎先生の論文を紹介する。
岩波講座現代社会学 (7) <聖なるもの/呪われたもの>の社会学岩波講座現代社会学 (7) <聖なるもの/呪われたもの>の社会学
(1996/06)
井上 俊

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終わった後は、軽く打ち上げ。参加者は発表者でもあったO田さん、あとはA部さん、M嶋さん。僕を含めて4名で、下鴨本通りにある北海道居酒屋「なまら屋」に向かい、久々にジンギスカンを食べる。
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廃墟ブームとエジプトの死生観 

訳の分からないタイトルになったが、今日の発表2本のテーマを合体させるとこうなるのだから、仕方ない。
まずは、K坂君の「体験をもとめる社会―現代廃墟ブームの考察を通して」という発表。これはなかなかの力作の発表だった。彼はどっちかというと閃きで切り開いていくタイプだけど、ちゃんと地道な勉強もしていて感心。完成度も高かった。
このところ、廃墟の写真集だとか、「工場萌え」「ダム萌え」だとか、そういう風景に対するある意味過剰な思い入れが話題となっているが、その淵源はどこになるのか。まずK坂君は、18,19世紀におけるヨーロッパのロマン派とかの「廃墟ブーム」という「前史」を丁寧に追っていく。廃墟には静謐の中、昔を偲ばせる様な「静態的」なものと、今まさに崩れ落ちつつあり、現代に生きる我々に不安を惹起させるような「動態的」なものの2種類があるというのが大まかなまとめ。その元ネタの本は以下のもの。
廃墟の美学 (集英社新書)廃墟の美学 (集英社新書)
(2003/03)
谷川 渥

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廃墟のエコロジー―ポスト・モダンからの見なおし廃墟のエコロジー―ポスト・モダンからの見なおし
(1988/07)
岡林 洋

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「石の文化」で、廃墟が比較的きれいに残るヨーロッパや地中海世界と、湿潤で跡形もなくなくなってくさむらになってしまう東洋のモンスーン地帯とはやはり感覚自体が違うだろうけど、廃墟というのは、やはり何かしら我々の心を掻き乱す存在であることは間違いない。ただし、ヨーロッパのロマンティックな廃墟とはある意味対照的に、日本は、近代のコンクリートでできたモダン建築が朽ち果てている、というのが廃墟の実態であり、そこには、「過去」へのノスタルジーも、「未来」への不安よりも、「今現在」のむき出しの「何か」が感じられるのではなかろうか(このあたりは、K坂君は大澤真幸先生とかの理論社会学っぽい理論を引っ張ってきていた)。
ニッポンの廃墟ニッポンの廃墟
(2007/08/01)
栗原 亨; 酒井 竜次; 鹿取 茂雄; 三五 繭夢; 他

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廃墟旅廃墟旅
(2009/10/24)
中田 薫中筋 純

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廃墟ディスカバリー廃墟ディスカバリー
(2008/09)
小林 哲朗

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このあたりの写真集、僕も買っちゃいそうだな(笑)。

もう一人のT倉さんの発表は「古代エジプトから死生観を」というもの。パピルスに書かれた『死者の書』だとか、古代エジプトの神話だとか、「カー」と「バー」という霊魂の質の違いの考え方とかは結構有名なわけだが、このあたりはなかなか素人が口出しできる部分が少なく、今回の発表のある本の要約で終わってしまった観がある。
エジプトの死者の書―宗教思想の根源を探る (レグルス文庫)エジプトの死者の書―宗教思想の根源を探る (レグルス文庫)
(1989/10)
石上 玄一郎

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このあたりを考えるなら、やはり比較神話学的なものの見方が必要になるだろう。要するにエジプトの死生観の何が特殊で、何が普遍的か、というのを見極めるには、比較の手続きが必要。今回は準備不足が露呈したレジュメだったので(選んだ題材も、彼女の手に余ったと思う)、学期末にこういう発表をしてはいけない、今まで何を見てきたのだと説教。
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