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さよなら、「ゼミ合宿」よ 

深夜まで飲んで騒ぎ、翌朝這々の体で起きて朝ご飯を流し込み、残りの発表を聞くという、例年通りの二日目の朝。
それでも複数の女子学生は、メイクもばっちり。むさ苦しいすっぴん及び無精ひげで堂々としていられる男子とは、やはり気合いが違う(良いか悪いかは別にして)。

二日目最初の発表はF田さんの「明治京都の景観問題と琵琶湖疎水」というもの。彼女は明治の大事業といわれる「琵琶湖疎水」がどのように計画され、周りの景観に影響を与え、そして今日それ自身が「文化的景観」とされるようになってきたか(蹴上の水道橋なんか、船越英一郎がいつでもいそうな感じがするくらい、京都の風景、となっている)、という問題設定で、歴史を色々調べているところ。確かに色々調べてはいるのだが、「こういう計画だった」「こういうことが言われた」というのは判ったが、結局「結果はどうだったのか」ということがいまいち判りづらい、というのがみんなの意見であり、僕も同意して、章立てやタイトルを再考するように求める。
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そして最後の発表者はOS木さん。発表題目は「江戸時代の仲人―『世間仲人気質』を中心とした比較から」。彼女は江戸時代の文藝をやっているので、本来の指導教員は僕ではないが、時々彼女のように「二つ目のゼミは楽しみたい(?)」というのが毎年のようにいるんだよね。彼女は、当時の仲人に関するイメージの変遷を浮世草子や雑俳、教訓書、礼法書などから探し出し、「気質物(かたぎもの)」と呼ばれるジャンルの中から『世間仲人気質』という作品を取り上げ、ネガティブなイメージが多い中、それなりの肯定的な評価も含んだオムニバス形式のこの物語を読み込もうとしていた。僕は当然ろくなアドバイスはできないのだけど、『世間仲人気質』が様々な仲人イメージのいわば結節点になっているという方向で考えたら、とは申し上げた。
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今日、最後の発表が終わった後、僕は心の底から学生諸君に感謝の言葉を述べた。僕はこの大学でゼミを持って8年目だが、いつも僕が一番楽しませてもらった。本当にぼくは学生に恵まれたと思う。僕が教員生活を始めたこの大学で、このような幸せな経験を積ませてもらったことは、今後も僕の回帰するべき「原点」となるだろう。
さすがに涙は出なかったが(これからの卒論指導を思うと、そんなものは出ない)、しみじみ寂しい。
英語学専攻の同僚が、この前の卒業式の時におっしゃっていた「I am proud of you.」という言葉、一足早いが皆さんに捧げます。本当にありがとう。
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最後のゼミ合宿 

昨日と、今日、恒例のゼミ合宿に行ってきた。場所は、大津の瀬田の唐橋にある「アーブしが」という施設。今回のゼミ合宿幹事が生協から紹介されて予約したのだが、ここは僕にとっても思い出深い場所。というのは、2004年(僕の担任学年)、2005年入学の諸君を連れて、この宿で「新入生合宿」というイベントを行ったからだ。というわけで、僕は5年半ぶりの訪問。今回は他ゼミから3人(A部さん、O田さん、A田さん)、OGのK武さんとT田さんが参加してくれて、計15名。初日に2人、二日目にも2人に1時間たっぷり卒論構想を発表してもらい、あと一ヶ月頑張ってもらおうという趣旨。
今回の合宿は久々のこの施設訪問というだけでなく、もう一つ感慨深くなる理由があった。というのも、僕が今奉職している某大学文学部国際文化学科という学科が、学部学科の再編成で3年前に募集停止になり、今の4回生が最後の学年となったからだ。つまり「国際文化学科川瀬ゼミ」というのは今年で最後。2005年から合宿は行なってきたが、6回をもって終了、ということになる。毎年発表して討論してお酒飲んで(飲み過ぎて)、翌朝這々の体でも発表して意見を出し合うという、自分でいうのも何だが、実に「大学生」らしい場を作ってきたと自負している。
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まず一人目はS原さんの「聖書から見るキリスト教における女性観」という発表。いわゆる「フェミニスト神学」を彼女なりにまとめてきた、という感じの発表。僕も以前この手の本は結構読みあさった(それを今彼女に貸している)。一番読みやすくまとまっているのは、荒井先生のこの本かな。
新約聖書の女性観 (岩波セミナーブックス)新約聖書の女性観 (岩波セミナーブックス)
(1988/10)
荒井 献

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ゼミも大詰めとなり、鋭いピアレビューが飛び交うのは素晴らしいことだ。それを見ているとき、教育者としての至福の瞬間でもある(マジで)。特に今回ゲストで来たOGのお二人がこういう場から離れて一年近くになるというのに、鋭い質問をして感心させられた。やはり、優れた卒論をともに書いた彼女たちはそれなりのものを獲得して社会に羽ばたいてくれているんだなあ、とこれまた感慨にふける。僕からの指摘としては、まず、新約聖書の女性観というのは、結構やり尽くされている分野だから、新味を出すのが大変であるということ、「女性の扱いは他のラビとは違うイエス」というのはよく分かるのだが、「男女平等」という「近代的」なタームを不用意に差し挟まないように指示。あと、コメンテーターのI田君の「男女平等がアピールとなったのか、不平等こそが魅力というパラドックスが宗教にはないか」という質問を拾って、倫理というものが不均衡、不平等、恩知らずな振る舞いから生じることを説明。

二人目はM嶋さんの「おかげ参りの源流と御師」という発表。いわゆる熱狂的な超弩級の伊勢神宮への参拝を「おかげ参り」と呼び、それは数え方で3回か4回江戸時代に生じたとされるが、彼女はその端緒をなすとされる慶安3(1650)年と宝永2(1705)年を取り上げ比較することにより、「おかげ意識」とでも呼ぶべき意識の情勢と、それに御師がどのように関わったかというのを様々な日記や記録の断片から推測しようとしたもの。僕などは、以下の西垣先生の古典しか読んだことないんだけど。
お伊勢まいり (1983年) (岩波新書)お伊勢まいり (1983年) (岩波新書)
(1983/12)
西垣 晴次

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僕からはいわゆる集団参拝の「20年周期説」と「60年周期説」「式年遷宮がきっかけ」説などを批判的に検討せよと注文。

二人の発表が終わり、コンビニに少し買い出しに行き、6時からはまずは宿の鍋に舌鼓。
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その後お風呂に入り、9時頃からは毎年恒例のエンドレス宴会に突入。
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こうして「最後のゼミ合宿」の夜は例年通り更けていった。酒とおしゃべりと暖房の乾燥した空気のせいで喉がガラガラになるのもまた例年通りか。

ムスリムとフランス「共和国」 

今日の発表はH野君。コメンテーターはF田さん。タイトルは「現代フランスのムスリム統合問題にみる「共和国」の変容」というもの。彼は3回生の時のゼミ発表でも、いわゆる「郊外」の移民系の若者の暴動を取り上げ、一貫してこの問題を追いかけてきた。このムックが当時の生々しい声を伝えてくれている。
現代思想2006年2月臨時増刊号 総特集=フランス暴動 階級社会の行方現代思想2006年2月臨時増刊号 総特集=フランス暴動 階級社会の行方
(2006/02)
不明

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フランス革命以来の「共和国」理念が、政教分離(ライシテ)を要求して今日まで来ているわけだが、周知のように「スカーフ」問題に端を発したムスリム問題がフランスの「共和国」理念に変容を迫り、またその理念と現実との乖離があらわになってきている、というのが今日の発表の趣旨。このあたりは、昔僕もちょっとだけお話しさせていただいた宮島喬先生がまとめられている。
移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等移民の社会的統合と排除―問われるフランス的平等
(2009/06/25)
宮島 喬

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移民社会フランスの危機移民社会フランスの危機
(2006/11)
宮島 喬

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H野君は結構18,9世紀にまでさかのぼって、これまでの共和国の「政教分離」の歴史を追いかけてきているのだが、いかんせん、それを現状分析と比較になかなか使いこなせていないのが惜しい(そこが卒論の肝になるであろう)。特に、樋口陽一先生や中野裕二先生の研究を道「応用」するかがキーとなると思う。
フランス国家とマイノリティ―共生の「共和制モデル」 (国際社会学叢書・ヨーロッパ編)フランス国家とマイノリティ―共生の「共和制モデル」 (国際社会学叢書・ヨーロッパ編)
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中野 裕二

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近代国民国家の憲法構造近代国民国家の憲法構造
(1994/04)
樋口 陽一

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今日は欠席者も多く、僕も体調がいまいちで申し訳ないことをした。が、実は今日は「教室で行う国際文化学科川瀬ゼミ」の最後なのだ。今週末、ゼミ合宿で残りの諸君に発表してもらい、それでほぼ日程は終了なのだから。ということで、痛む胃を押さえながら少しセンチメンタルになる。

音楽を語る方法 

今日の発表者はI田君。コメントはF瀬さん。
発表タイトルは「現代における若者と音楽の関係について」というもので、ざっくり言うと、現代若者の「音楽消費」はどのような機能を担っているか、ということを考察したもの。60年代、70年代にはロックやフォークはそのまま広い意味での「政治」と結びつきやすかったわけだが(ウッドストックやフォークジャンボリーを見よ)、現代の若者は「自分探し」やら「アイデンティティ」と結びつけて音楽を聴いていると言えるのだろうか、というのがスタートライン、かな。「上流社会はクラシック、下層はロック」というように分かり易い状況は日本では当てはめられないだろうが(イギリスのカルスタの悪い例を真似しても仕方がない)、全く影響が無いとも言えない。日本みたいな社会構造では、音楽を社会的状況と結びつけて語る方法に非常な困難が伴わざるを得ないわけだ。
拡散する音楽文化をどうとらえるか (双書音楽文化の現在)拡散する音楽文化をどうとらえるか (双書音楽文化の現在)
(2008/12/06)
東谷 護

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ポピュラー音楽へのまなざし―売る・読む・楽しむポピュラー音楽へのまなざし―売る・読む・楽しむ
(2003/05)
東谷 護

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この東谷さんのをどう利用し、越えるかだな(越えがたいだろうが)。
僕なんか、彼の発表では「空白地帯」となっていた80年代に自我を形成した人間なので、ちょっとどう分析されているのか、という学説史も聞きたかったところ。探すと、結構参考文献はあるもんだ。
抵抗の快楽―ポピュラーカルチャーの記号論 (SEKAISHISO SEMINAR)抵抗の快楽―ポピュラーカルチャーの記号論 (SEKAISHISO SEMINAR)
(1998/07)
ジョン フィスク

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毛利 嘉孝

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彼には、60年代、70年代の新聞記事の博捜と内容分析を課した。でないと、先行研究のまとめに終わってしまうので、せめていくつかは直に資料を引いてこないとね。あと、アドルノをどう換骨奪胎するか、という問題もあるな。彼の音楽受容理論って、僕は全く知らないけど、面白い分類法をしているみたいだから。
アドルノ 音楽・メディア論集アドルノ 音楽・メディア論集
(2002/10)
テオドール・W. アドルノ

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