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最後のゼミ合宿 

昨日と、今日、恒例のゼミ合宿に行ってきた。場所は、大津の瀬田の唐橋にある「アーブしが」という施設。今回のゼミ合宿幹事が生協から紹介されて予約したのだが、ここは僕にとっても思い出深い場所。というのは、2004年(僕の担任学年)、2005年入学の諸君を連れて、この宿で「新入生合宿」というイベントを行ったからだ。というわけで、僕は5年半ぶりの訪問。今回は他ゼミから3人(A部さん、O田さん、A田さん)、OGのK武さんとT田さんが参加してくれて、計15名。初日に2人、二日目にも2人に1時間たっぷり卒論構想を発表してもらい、あと一ヶ月頑張ってもらおうという趣旨。
今回の合宿は久々のこの施設訪問というだけでなく、もう一つ感慨深くなる理由があった。というのも、僕が今奉職している某大学文学部国際文化学科という学科が、学部学科の再編成で3年前に募集停止になり、今の4回生が最後の学年となったからだ。つまり「国際文化学科川瀬ゼミ」というのは今年で最後。2005年から合宿は行なってきたが、6回をもって終了、ということになる。毎年発表して討論してお酒飲んで(飲み過ぎて)、翌朝這々の体でも発表して意見を出し合うという、自分でいうのも何だが、実に「大学生」らしい場を作ってきたと自負している。
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まず一人目はS原さんの「聖書から見るキリスト教における女性観」という発表。いわゆる「フェミニスト神学」を彼女なりにまとめてきた、という感じの発表。僕も以前この手の本は結構読みあさった(それを今彼女に貸している)。一番読みやすくまとまっているのは、荒井先生のこの本かな。
新約聖書の女性観 (岩波セミナーブックス)新約聖書の女性観 (岩波セミナーブックス)
(1988/10)
荒井 献

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ゼミも大詰めとなり、鋭いピアレビューが飛び交うのは素晴らしいことだ。それを見ているとき、教育者としての至福の瞬間でもある(マジで)。特に今回ゲストで来たOGのお二人がこういう場から離れて一年近くになるというのに、鋭い質問をして感心させられた。やはり、優れた卒論をともに書いた彼女たちはそれなりのものを獲得して社会に羽ばたいてくれているんだなあ、とこれまた感慨にふける。僕からの指摘としては、まず、新約聖書の女性観というのは、結構やり尽くされている分野だから、新味を出すのが大変であるということ、「女性の扱いは他のラビとは違うイエス」というのはよく分かるのだが、「男女平等」という「近代的」なタームを不用意に差し挟まないように指示。あと、コメンテーターのI田君の「男女平等がアピールとなったのか、不平等こそが魅力というパラドックスが宗教にはないか」という質問を拾って、倫理というものが不均衡、不平等、恩知らずな振る舞いから生じることを説明。

二人目はM嶋さんの「おかげ参りの源流と御師」という発表。いわゆる熱狂的な超弩級の伊勢神宮への参拝を「おかげ参り」と呼び、それは数え方で3回か4回江戸時代に生じたとされるが、彼女はその端緒をなすとされる慶安3(1650)年と宝永2(1705)年を取り上げ比較することにより、「おかげ意識」とでも呼ぶべき意識の情勢と、それに御師がどのように関わったかというのを様々な日記や記録の断片から推測しようとしたもの。僕などは、以下の西垣先生の古典しか読んだことないんだけど。
お伊勢まいり (1983年) (岩波新書)お伊勢まいり (1983年) (岩波新書)
(1983/12)
西垣 晴次

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僕からはいわゆる集団参拝の「20年周期説」と「60年周期説」「式年遷宮がきっかけ」説などを批判的に検討せよと注文。

二人の発表が終わり、コンビニに少し買い出しに行き、6時からはまずは宿の鍋に舌鼓。
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その後お風呂に入り、9時頃からは毎年恒例のエンドレス宴会に突入。
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こうして「最後のゼミ合宿」の夜は例年通り更けていった。酒とおしゃべりと暖房の乾燥した空気のせいで喉がガラガラになるのもまた例年通りか。
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