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代替案が見つからないとき
今日の発表者はK藤さん。彼女のテーマは、「B.R.アンベードカルの「不可触民」解放と「新仏教」運動」という渋いもの。アウト・カーストに生まれながら刻苦勉励して独立後のインド共和国の初代法務大臣になったアンベードカルの名は日本でも広く知られているが、彼女はアンベードカルの人生と、彼が最晩年に「差別的」なヒンドゥー教を捨て、仏教に改宗し、彼に付き従う人々が多く出たことを中心にして発表してくれた。
で、まず彼女が非常に丁寧に調べ物をしていることに感心。特に、カースト制度(ヴァルナ・ジャーティ制)について、ルイ・デュモンまで引用してきたのには、インド人もびっくり、というのは嘘だが、感心した(デュモンの本は非常に浩瀚なものなので・・・)。
僕も彼女の発表で教えてもらったのだが、我々日本人が普通知っているつもりの「カースト制度」というのは、19世紀以降のイギリスの支配の中から誕生した面が意外に強いということ(イギリスから入ってきた近代法体系と、マヌ法典など古法典の「読替(=伝統の創造)」のミックスが不可触民への差別を隠蔽してしまったことも近年での研究では指摘されていて、興味深かった)や、ガンディーとアンベードカルの対立など、興味深い論点が多々あった。また、アンベードカルの意志を継ぐ形で、新仏教運動のリーダーをしている日本人がいるということも面白かった。

あと、彼女の指摘に膝を打ったのは、「アンベードカルは仏教を選択したが、それは一種の「戦略的本質主義」なのでは」というものだった。つまり、アンベードカルは自分たちを徹底的に差別するヒンドゥーの伝統を「本質的に悪であり不道徳なもの」と規定し、その対蹠物として仏教を措定して改宗したのではないか、ということである。なるほどなあ、と思った。

コメントでT田さんが言っていたが、「何でこんなに自分たちを差別するヒンドゥー教を早く捨てなかったのか」という疑問は、第三者からは必ずと言っていいほど出る疑問だが(この質問は「何であんなひどい男とすぐに別れないの」というのと似ている)、僕が思うに、有効な代替物 alternativeがない場合は、その差別構造から逃れられず、益々その中にのめり込むことがありえるだろう。例えば仏教や、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、女性差別的な言葉に溢れ、事実女性を差別してきたのは歴史が教えるところだが、それなのに、その時代の女性たちは自分の信仰を捨てようとはせず、却って熱心に信仰にのめり込んだ。これは、その時代に有効な「代替物」がなければ、結局はその中で「救い」を求めるしかないことを示していよう。客観的には差別され、苦しまされている状況だろうが、「内部」の人間には、それはなかなか見えないのだ。

あと、彼女の発表を聞きながら思い出したのは、日本の事例である。まず、日本の被差別部落問題。これは勿論アンベードカルの出身からの自然な発想だが、確か昔ゼミで色んな史料を読まされたとき、明治初期に学制が布かれたとき「部落の連中と一緒に机を並べられるか」というような形で暴動や騒ぎが起こった、というのを読んだ記憶がある(確か、岩波の日本近代思想大系の『差別の諸相』の巻だったかな)。この暴動なんかは、アンベードカルたちが味わったものと変わるところがない。
あと、アンベードカルは藩王の特別奨学金で留学したという話。これは、藩王国で権勢を誇っていたバラモン階級を牽制するために藩王が身分が下でも実力のある人材を育てて登用しようとしたもので、これなんか幕末の状況と似ていると思った。

ともかく、骨太な発表をしてくれたK藤さん、ご苦労様。

ゼミ | 【2006-01-23(Mon) 22:32:34】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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