今日で、卒業論文及び修士論文の口頭試問は全て終了。いやー、疲れた。月曜日から今日の木曜日まで、4日間ぶっ通しだったもんな。同僚の先生方もお疲れ様でした。でも、同僚の「ああ、試問しているとどんどん自分が意地悪になっていくのを感じて落ち込む。私はもっと平和的な人間のはずなのに〜」という魂の叫び(?)には笑った。僕もねえ、論文指導と試問の時だけ、妙にアグレッシヴらしいです。mixiの後輩からの紹介文でも「辛辣なコメント」「剛柔あわせ持った発言」なんて言葉があるんだから、自分でも意識しないままに、そういう場面では毒を吐いているらしい。ごめんね。普段の僕は、皆さん知っての通り、フレンドリーな良い人間です。
さて、僕は卒論8本、修論2本を審査した。私立大学に比べれば、少ない方ではあるだろうが、けっこう自分で言うのも何だが真面目に面倒を見ているので、1月中は往生した(今年、指導したのは卒論6本、修論2本)。少人数の大学だから、そういうきめ細かい指導も「売り」の一つだしね。でも実際、指導していて疲れる一方ではなく、知らないことを教えてもらったり、その成長ぶりを温かく見守ったり(特に10月の中間発表でめちゃくちゃだった奴が成長しているだけで、目を細めてしまう)、楽しく嬉しいこともあったのだ。大学教員冥利とはこのことだと思う。
そして、卒業生諸君は自分の書いた卒論や修論を忘れ、それを指導した先生も忘れていくのだろう。それで良い。それが当然だ。「先生」とは、忘れ去られることに慣れてしまった人間の謂なのだから。まあ、僕たちも君たちのことを忘れてしまうのだから、お互い様かも知れないけどね。
さて、僕は卒論8本、修論2本を審査した。私立大学に比べれば、少ない方ではあるだろうが、けっこう自分で言うのも何だが真面目に面倒を見ているので、1月中は往生した(今年、指導したのは卒論6本、修論2本)。少人数の大学だから、そういうきめ細かい指導も「売り」の一つだしね。でも実際、指導していて疲れる一方ではなく、知らないことを教えてもらったり、その成長ぶりを温かく見守ったり(特に10月の中間発表でめちゃくちゃだった奴が成長しているだけで、目を細めてしまう)、楽しく嬉しいこともあったのだ。大学教員冥利とはこのことだと思う。
そして、卒業生諸君は自分の書いた卒論や修論を忘れ、それを指導した先生も忘れていくのだろう。それで良い。それが当然だ。「先生」とは、忘れ去られることに慣れてしまった人間の謂なのだから。まあ、僕たちも君たちのことを忘れてしまうのだから、お互い様かも知れないけどね。