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  • このブログは、僕が担当しているゼミおよび論文指導などの記録です。
    「褒めて伸ばしたい」と思いますが、どこまでうまくいくことやら。ちなみに、僕も褒められて伸びる子でした。
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アイデンティティ「問題」クライシス
今日は今年最後のゼミ。発表者はH川君。発表タイトルは「日本人の宗教性や価値観の多様化がアイデンティティに与える影響について」というもの。えらく長く、盛りだくさん(良くも悪くも)。
彼は、アイデンティティといえばこの人、という感じでまずはエリクソンの「ライフサイクル(発展論)」を軽く紹介。乳幼児から老年期まで大体8つくらいのステージを経る、というもの。そして、いわゆる「アイデンティティクライシス」という思春期の「共通課題」に、どのような価値観(日本人の)が影響を与えるのか探りたい、といいつつ、どちらかというと「思春期」の話題は置いてきぼりのまま、「自由とか何か」という話題を佐伯啓志から引っ張ってきて「あれかこれかの選択を常に迫られている(初期実存主義みたいな話になってきたな)」現状の中、アイデンティティは見習うべき規範を失い、彷徨しているのではないかとか(佐伯さんの話を引っ張れば、そういう方向になるのは理の当然だが)、その次から話は急に、いわゆる「精神分析的日本人論」の方向へシフトしていった。要するに、彼の引用していた土居健郎(甘えの構造)、河合隼雄、小此木敬吾(モラトリアム人間)のラインですな。僕としては、デジャヴというか、僕が学生時代貪り読んでいた本のラインナップを復唱されているような、複雑な気分になる(笑)。それこそ「僕って何」という感じで、この手の本は一通り読みまくったからなあ、ついつい僕の彼の発表に対するツッコミは厳しいものとなる。最後は、河合氏及び阿満利麿先生の「日本人の自然宗教」(これも、昔僕が授業で教えたものだけど)が日本人のアイデンティティの中核をなしているのだから、それを道徳にまで高めることは出来ないか、ということ(と僕には聞こえた)という提言で発表は終わった。

で、残念ながら、今回の発表は、彼が興味を持って色々読んだ本を寄せ鍋のように投げ入れた感じで、それこそ「発表のアイデンティティがない」というか、結局何が言いたいのかが見えないものとなってしまった(コメンテーターのN山さんも困ったことであろう)。まず、最初の「青少年のアイデンティティ問題」から離れ、佐伯啓志や土居健郎的な「規範を失い、アイデンティティ確立も出来ないモラトリアム人間のような形態でやり過ごして本当に良いのか」という「道徳的」な話で着地してしまったからなあ(まあ、それに終始していれば、一本の筋になっていたが、日本人の宗教心とか、話が飛びすぎ)。というわけで、もっと話をまとめるようにと苦言を呈する。要するに、君は本当に何を明らかにしたいのかをみんなに判る形で提示せよ、ということ。それは僕が手助けは出来ない代物だ。
そして、引用の仕方があまりに大雑把で、これも叱る(参考文献のどのページを読めばいいのか、殆ど判らずじまい)。そして、エリクソンなどの原典(勿論翻訳書で充分すぎる)に全く触れておらず、まともな「精神分析事典」とか「カウンセリング事典」のようなもので調べ物をしていなかったことも減点対象。ウィキペディアはともかく、はてなダイアリーのキーワードはないだろ。僕もはてなユーザーだけどさ。というわけで、友人のこれまでの優れた個人発表のレジュメを読み返して、反省して欲しいと言って締めくくる(これはH川君だけの問題ではなく、全体に言えることだが)。

最後に、卒論を抱えた四回生に「はよ書きかけを出して俺に見せろよ」と脅して、ゼミ終了。

ゼミ | 【2007-12-17(Mon) 23:55:47】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
民衆から何を奪い、何をもたらしたか
このところ、わざと大仰なタイトルにしているのだが、今日はY村さんの「“国家神道”の成立と民衆への影響」というタイトルの発表。彼女はこれで卒論を書く。ある意味、僕の専門に一番近い(というか、ドンズバな)テーマ。それでは指導しやすいか、というと、実はY村さん(とかH沖さんとか)には悪いが、そうでもないんだな、これが。もちろん、参考文献というか、読むべき文献は頭の中でリストアップされているので、それを教えるのは簡単だが、「これも読んでないのか」とか「この定義はまずいんじゃないか」とか、知っているだけについつい粗とかが目についちゃうので、僕としては点がどうしても辛めになってしまうという弊害があるのだ。
というわけで、学生の皆さんにはわがままなのは百も承知しているのだが、僕としては、首をつっこめるけど、深くは知らないというテーマが一番指導しやすいのだ。

さて、彼女はタイトルの通り、明治初期からの神道国教化政策の流れと、それに伴う民衆の民俗信仰の抑圧(最近の流行の言い方をすれば、頭でっかちの「ビリーフ」的宗教が、実践(プラクティス)的な宗教を抑圧していく)と、国家神道システムの一翼を担った「教派神道」の中の金光教と天理教も取り上げ、タイトルのような問題意識でこれから頑張ります、といった趣の発表だった。もう一つついでにいえば、現在の我々の宗教意識を形成したと思しき、この「国家神道」というものを振り返りたいということが彼女の研究の動機であった。
僕としては、一世代前の「国家神道」研究の大立者たる村上重良と葦津珍彦の「おいしいとこ取り」をせよ、とまず言うしかない。それと、江戸時代からの浄土真宗の真俗二諦論を復習するとか、教派神道の中の「異端」であった金光教や天理教とその他の宗派の違いを鮮明にせよとか、調べる時期を限定せよとか(明治30年代直前までが限度かも、と思った)、安丸良夫、島薗進先生方の議論を消化せよなど、アドヴァイスはどんどん出てくるが、Y村さんの意見をどのあたりに挟むかが、実は最大の問題かも知れぬ。汗牛充棟とは言わないまでも、このあたりの研究は充実して、まとめるだけで手一杯ということがあるからね。ということで、ゼミ終了後、早速3冊ほどのごついのを貸してやることに(井上順孝、磯前順一、山口輝臣の三先生の主著)。

ま、Y村さんも含めて、4年生諸君は年末までに書きかけの卒論をはよ持ってきてね。年末はライブに実家通いと、僕は肉体的に暇がありません。

ゼミ | 【2007-12-10(Mon) 22:13:46】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ゼミ合宿二日目
さて、日付が変わっても、当然のように宴会は続くのであった。パーティーグッズを持参してきたものは余りいなかったが、UNOやらジェンガやらで嬌声があちこちで爆発(しすぎ)。僕が持ってきた「羽仮面」(先日、僕が誕生日プレゼントとしてもらった)を付けておちゃらける人も。
071202kawase_seminar 014(誰だかは秘密だ)
僕も寝不足もあって、2杯目の焼酎のお湯割りを飲んだあたり(確か午前3時頃)に一旦意識を失いかける。結局、午前4時頃、一旦お開きということにして、空き瓶、空き缶などを片付け始め、それを見届けて、僕は着替えもせず、そのまま布団に滑り込み三時間半ほど無理矢理寝る。
翌朝、8時に朝食。さすがに元気な奴はいない・・・かと思ったら、昨日から酒も飲まずにハイテンションのN浦さん(彼女がこれほどの人間とは思わなかったぜ)だけは、相変わらずのマシンガン・トーク。僕は朦朧として相槌を打つことも出来ない状態(彼女とシャケは「脳内物質フライング体質」であると認定)。そのような意識のまま、部屋の片付けをして、荷物をまとめ、再び大広間に戻って、今日は二人の発表。

一人目はOB澤さん。「マンガの中のジェンダー観」というタイトルで、主に北条司の『ファミリー・コンポ』を題材に、ジェンダー観を混乱させることを物語のドライヴにしている作品を考察。彼女は最初に伊藤公夫先生の「男性学」の成果を軽く紹介し(いわゆる「メンズ・リブ」ですね)、「男がいかにジェンダーに囚われているか」ということを確認し、その上で作品論に入っていった。なかなか面白い試みだと思ったが、何せ今回は一つの作品しか取り上げられていないし、彼女もこの作品だけだと長い考察は書けないだろうと思った僕は「もっと色々ジェンダー攪乱作品はあったはずでしょうから、たくさん取り上げなさい。戦いは数です」とドズル・ザビのような台詞を挟み、具体例として、最近のものとして志村貴子さんの『放浪息子』『青い花』などを推薦。
ラストはAK根君。凝り性の彼は、何と13ページにもわたるレジュメを作成。発表題目は「戦国・織豊期の都市と人々―イエズス会宣教師の視点から」というもの。タイトル通り、ルイス・フロイスの『日本史』や、ヴァリニャーノの『日本巡察記』などを主な題材として、当時の日本の城下町の特徴や、日本人の風俗がどのように捉えられていたかというのをピックアップした発表だった。色々読みこなし、よく調べていた好発表だったが、彼自身自覚しているように、総論的なまとめとしてはよかったが、彼自身の考えが出ていなかったことが惜しまれる。僕からは、どうしても思想史家(一応な)として、当時の人々がどのようにキリシタンの教えを受け止めていたか、イエズス会の日本人イルマン(修道士、例えばハビアン)などがどのような考えを持っていたかを見れば、もっと「文化交流史」というか、interactionを見ることが出来るのでは、とアドヴァイス。このようなアドヴァイスをしてしまうのは、僕が大学院時代に、K住先生の思想史ゼミに参加していたから。そのゼミで教えていただいたことで印象に残っているのは、キリシタンになった日本人がパードレ(神父)達に「私はあなたのありがたい教えを聞くことが出来て幸せだが、聞くことが出来なかった父や祖父母はどうなるのか、彼らを地獄から救うことは出来ないものか」と聞く、という「追善供養」の思想であった。中国でも、先祖崇拝をどこまで認めるかという「典礼問題」がイエズス会の最大の問題の一つだったが、日本ではこの「追善供養」的思考様式なのか、と大変印象に残っている。

ハードスケジュールで、最後に体調を崩したものが出たが、何とか京都へ帰還。
071202kawase_seminar 018(宿の前で集合写真)

追記:昼過ぎに京都駅で解散後、ゼミ合宿に参加したW竹君とN田さんと同期のI上さんとM原君(二人とも既に社会人)と合流し、久闊を叙する。その後、京都駅で偶然同学年のY浅さんまでつかまえておしゃべりの延長。結局夕方まで喋りっぱなしだったな・・・。

ゼミ | 【2007-12-02(Sun) 13:24:32】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ゼミ合宿初日
今年で通算3回目のゼミ合宿。
今年の会場は湖西線新旭の近くの旅館。今回のゼミ合宿幹事のN山さんとA部君に全てをお任せして、僕は文字通り手ぶらで参加(感謝!)。11時に京都駅に集合して、約1時間の小旅行(これくらいの距離が、遠すぎず、近すぎずでちょうど良いね)。
宿で借りた中広間という部屋の予約の都合で、夕方6時までしか押さえられないという事だったので、宿に到着した途端、1時半から6時までで4人の発表を立て続けにやらざるを得なくなる(早めにお酒飲んでも大丈夫なように、最初からそのつもりだったけど)。
発表風景
(発表風景)

まずはF原君の「近代アイルランドの言語とアイデンティティ」という発表からスタート。アイルランドは周知の通りイギリスの過酷な植民地支配を経て独立した国だが、今や「アイルランド語」話者は人口の1%ほどしかおらず(しかも、辺境と呼んでよい沿岸部に集中。アイルランド語話者の集住地域はGealtachtゲールタハトと呼ばれる)、圧倒的に「英語」の国となっている。しかし公用語としては第1公用語はアイルランド語、第2が英語なのだ。であるから、結論を先に言ってしまえば、タイトルとはある意味裏腹に、「もはやアイルランド語はアイデンティティの核となり得ない」という状況が彼から報告された。
彼の発表で興味深かったのは、19世紀のイギリス支配下で、あたかも沖縄で行われた「方言廃止運動」のようなことが公教育の場で行われた事とか、19世紀末頃からの「アイルランド民族運動」の文化面を担った「ゲール同盟」の活動だった。ついつい僕などは自分の専門に引きつけて、同時期の朝鮮半島の事を思ってしまう(実際、アイルランドと朝鮮半島は、支配者も被支配者もアナロジカルに見ることの多い「植民地」であった)。
僕のコメントは、「アイデンティティに言語は非常に重要なものであるが、出来ればカトリックなどの宗教的アイデンティティも見るべきでは無かろうか」という宗教学者っぽいコメントになってしまった。

2番手はH沖さん。彼女は「文明開化期の法制度による庶民生活の変化」という題目(これで卒論も書く)。彼女は、よく歴史学や民俗学で取り上げられる「文明開化がいかに庶民の民俗を変容させたか」というテーマに興味を持ち(去年、僕がそういう講義をしたからでもあるんだが)、明治初期の「違式詿違条例」(軽犯罪取締法)の「混浴・もろ肌取り締まり」という典型的なものや、各地方で出された断髪令を取り上げ、最後に、その時期に出された「男女違権論(要するに男女は別の役目があるという性別役割分担正当化論)」を取り上げた。最後の部分が中間発表にはなかったところで、今回の発表の「新しいところ」だったわけだが、ちょっと唐突。これまでの「法律による取り締まりによる庶民生活の変化」というテーマとリンクさせるようにアドヴァイス。

三番目はI子さんの「世界連邦運動―その歴史と現状」という発表。これは「世界憲法」を制定し、民主的な世界政府を作り(要するに国連の発展版)、国際社会を平和的に治める仕組みを作ろうというもの。彼女はその運動の歴史的沿革と、現在その運動に携わっている何人かの方にインタビューをし、それをまとめつつある。こういうインタビューは、僕も大学院生時代にやったことがあり、その時の質問紙などを彼女に渡してアドヴァイスしてきた。僕としては、そのインタビュー内容の分析を深め、オリジナルな視点を出すようにとアドヴァイス。また、世界連邦運動が、他の類似の運動とどう違うのか、ということも調べるようにと言い渡す(例えば去年僕がたまたま参加した「世界宗教者平和会議」という運動など)。

4人目はT野さん。彼女は「ジャーナリズムの「職業倫理」を模索する―事件報道に見る発達障害」というテーマで、いわゆる「発達障害」と称される障害を持った容疑者が犯してしまった犯罪はどう報道されてきたか、そしてその問題点は何か、というテーマ。彼女が具体的に取り上げたケースは、2000年5月愛知県豊川市で17歳の少年が「人を殺してみたかった」と述べた「豊川事件」と、2003年7月長崎市で中学一年生の少年が幼児を誘拐し駐車場から突き落として殺害した「長崎事件」の二つ。彼女のテーマは、門外漢の僕には的確なアドヴァイスが出来ないけど、とにかく今まで色々迷いがあった彼女がテーマをまとめつつあることは実感できたので、そのまま突進するようにと言う。

4名のバラバラの発表を聞くと、さすがにちょっとだけ意識が飛んだ(発表中「夢の世界」に逃避していた学生も多数)。夕食後風呂に入り、9時半頃から、なし崩し的に大広間で持ち込んだお酒とお菓子でエンドレス宴会に突入。毎年書いていると思うが、やっぱり僕の予想の斜め上を行く狂乱振りを示す学生が現れて、毎年新たな感動を催す(棒読み)。しかも、今年は、酒を飲まずにハイテンションになれる人が複数いたのが僕の誤算。宿の人から怒られるんじゃないか、と冷や冷やしながら飲む(以下次号)。

ゼミ | 【2007-12-01(Sat) 23:59:59】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
男子は着物を脱ぎ、女子は袴を穿く
今日の発表者は4回生のF原さん。テーマは「近代小学校における洋装化の過程」というもの。明治、大正、昭和初期の小学校(対象としては京都市の公立小学校)において、児童の「洋装化」はどのような過程を経たか、そしてそれと並んで教える側の教師の洋装化はどのようなものだったか、というのが彼女のテーマ(これで卒論を書く)。

まず、児童・生徒の制服に関して、詰め襟とかセーラー服とか、そういう「軍隊」的なものの流入(まさに規律・権力)があったというのはこれまでも語られてきたし、外見からして予想が付くわけだが、彼女が今回主眼にしたのは「体操着」。体操着は端的に「動きやすさ」を求められるものであり、「洋装化」が進行しやすい分野であるし、「女子も身体を鍛えるべし」という近代教育の理念の反映もそこで確認できる恰好の対象だ。目の付け所はなかなかに良い。
彼女が引っ張ってきた資料の一つに「京都市第一高等小学校女児童体育ニ関スル実施状況(1906年)」というものがあった。この資料はなかなか面白く、女子児童の体格、体力が貧弱なのを問題視し、服装などの改善を求めている。この資料は、通常の登校着に関する議論を収めているわけだが、まだこの段階では金銭的な問題と洋装に対する違和感などが拭えなかったり、女子に対する「偏見」も残存していて、「和服の改良」という方向に進んだ事が確認できる。
再び体操着に戻ると、袴だったり、ワンピース型の服だったり、試行錯誤は続いている(ワンピース型の体操服なんて、今なら却っておしゃれな感じがする)。学校や地域によって実施はテンでバラバラで、洋装化は一気になされたのではなく、跛行的に行われた事が読み取れる。彼女によると、服装の変化がピークを迎えるのは大正末期頃らしく、女子スポーツの隆盛と歩調を合わせているという。しかし体操着の洋装化は男子が常に先行しており、女子は後れを取っていた。まとめると、男子は着物を脱いでいき、女子は着物に袴を重ねるというのがこの時代の変化のメインストリームだったといえる。

教員の方にも有意なジェンダー差があったという。端的な事例として、男性教員には制服(洋服)が支給されたが、女性教員には支給されず「品位を損ねないように」というお説教があるだけだったという(教員の男女比も気になるところだ)。一言で言えば、女性教員は洋服を着た男性教員の下で、袴姿で教えていた、という事になろうか。まあ、女性の校長先生が当たり前になったのだって、それほど遠い昔ではない。戦前では「洋服=権力」という図式がきれいに当てはまるのかも知れない、というのがF原さんの見立て。
同じく児童に対しても、男子には多くの被服が与えられているが、女子にはほとんど与えられていないという。うーん、あからさまだ。

彼女への要求としては、日本の服飾史の基礎をもう少ししっかり押さえて欲しいという事と(例えば洋服の制服がいつ、どこで初めて採用されたか、とか)、図版をもっと集めて、。ヴィジュアル面で分かり易い卒論を書いて欲しいという事だ。やっぱ、言葉だけでは今の我々は情けない事に、パッとイメージが浮かばないからね。

ゼミ | 【2007-11-26(Mon) 22:22:47】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
ジャズはどのように語られてきたか
今日の発表者はW竹君。彼は元大学のジャズ研にいた経歴を生かして(?)、卒論のテーマを「日本におけるジャズの受容」というのに決めた。今日はその中間報告という趣。
前回の「卒論中間発表会」で彼は70年代以前のジャズ言説を追っていたのだが、今回は80年代以降を中心に調べた。
まあ、ぼくもそこそこジャズは好きで良く聞いているが、実は僕は「スタンダードナンバー」やら「古典」と言われるのを聞き込んで勉強した、ということはない。実際、僕がジャズに目覚めたのは、澤野工房のようなヨーロピアンジャズからで、黒人文化の一つとしてのジャズ、というのは全く意識していないのだ。ただ、僕のようなジャズファンがでてくるのは恐らく新しい現象だろう。彼の発表で述べられていたように、ジャズは大体10年ごとに流行というか、新しいスタイルが生まれるもので、それらの積み重ねを知っていないと、いっぱしのジャズファン面はできないものだ(僕はそういうのがダメで、その古典のお勉強を断念したのだ)。
要するに、僕が思うに、W竹君の引いてきた言説を読むと、ジャズの「クラッシック化」というか「教養化」の過程が見て取れ、それが「ジャズに本来あった(とされる)生命力や革新性」を削いでいる(そして教養化がますます敷居を高くして、新しいファンを開拓できなくしている。それはジャズ喫茶の衰退などからも明らかであろう)、というのがどうも共通認識のようだ。
要するに、60〜70年代くらいまではあった「思想としてのジャズ」というものが無効化されたのかも知れない。これはジャズが様々なフィールドで使用され、インテリア化していくのに伴う不可逆な変化であったと言えるかも、と思った。
恐らく使えないだろうけど、アドルノのジャズ嫌いなんかは彼のヒントにはならないかなあ、なんてことも思った(今手元に本がないので、何とも言えぬが)。
でも、ちょっと驚いたのが、こういうマニアックな発表でもみんな食い付く。僕の予想を超えて質問がたくさん出て、予定時間をオーヴァーしてしまった。特に驚いたのは、普段余り喋らないK山さんやHさんが、「私、元吹奏楽部なんですけど」とカミングアウトして、質問したこと。
ともかく、書きかけの卒論を早めに持ってくるようにといって、ゼミは終了。
その後は今日が僕の誕生日だと言うこともあって、ゼミコンパをして騒いで帰る。

ゼミ | 【2007-11-19(Mon) 18:22:31】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
「可愛い」は褒め言葉になるか
「可愛い」は普通褒め言葉だが、例えば小さな男の子に使ったり、怒っている恋人をなだめる時に、まるで子供扱いする時に使ってしまうと思わぬ反撃を喰う事がある。
これは別に今の話ではなく、どうも江戸時代もそうだったらしい。
今日のK本さんの発表は「『春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)』における「かはゆし」をめぐる一考察」(まあ、これがそのまま卒論のタイトルになるのだろうね)というもので、江戸時代の人情本の一つである『春色梅児誉美』(これは僕も知らなかったけど、結構長編で、古典大系では独立した巻となっているくらい)のヒロインに対してどのような形容詞が使われているか、特に「かはゆい(かはゆらしい・かはいい・かはい)」という言葉に注目して、その使われ方と内容を振り返ってみるという趣の発表。僕は全く知らない世界。永井荷風も読まないもんね。江戸っ子だって、べらぼうめ、こちとら堺っ子よ。
この物語のストーリーは、彼女の要約をこれまた僕が要約すると、色男の丹治郎が、許嫁、花魁、芸者など色んな女に愛され貢がれ、背負っていた借金とかも結局チャラになり、悪人はみな滅びハッピーエンド、という内容。うーん、江戸時代の人情本って凄い世界だ。あの時代のハーレクインだね(違います)。
彼女の発表は専門性が高く、僕などがなかなかツッコミを入れる事はできなかったのだが、少なくとも彼女がこの作品を大変に読み込んで、知識を蓄えていることは伝わった。
僕のした質問は
(1)それぞれの女性キャラを一言で表すような形容詞はそれぞれ想定されるのか(小池一夫先生的に言うと「キャラ立ち」させられているか)。→そこまでは調べられていない
(2)恋愛小説の嚆矢、という評価がされているとの事だが「色」と「恋愛」は違うのではないか?→プラトニック・ラブを貫いて最後ハッピーエンド、というのは、「恋愛小説」と呼んで差し支えないのではないか(佐伯順子先生もそういっているそうな)。
(3)敵役の芸者「仇吉(あだきち)」という名前は、やはり「婀娜っぽい」という形容詞からのダジャレか?→深川芸者の「婀娜っぽさ」「意気地」というのはほとんどセットなので、あり得るかも
(4)この物語の「筋(道徳的価値)」は「貞操を硬くしていれば、きっと最後に愛は勝つ(KAN)」とか、そういう事なのか?→そういうことである。
など。
僕や他の学生の的を外した感じの質問にも的確に答えていた彼女。これからは、今後自分の研究をどう広げていくか(彼女は大学院を志望しているのだ)という事もそろそろ考えて欲しい(例えば、大学院に入って、その延長線上の事をするのかしないのか、という事を含めて)。

ゼミ | 【2007-11-12(Mon) 23:09:42】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
地獄とはここの事かと人は言い(適当)
今日は発表者はK沼さん。ゼミのはじめに卒業アルバム用の撮影をしたので、約30分押しでスタート、その間に彼女は慌てて外のコンビニかどこかへコピーを取りにいきやがった。全く良い度胸だぜ。この撮影時間を見越してなら、喰えない知能犯だが(笑)。

彼女の発表のネタは、中世の絵巻物に見られるような「地獄絵図」を中心に、仏教の世界観とか地獄観がどのようなもので、どのような影響を当時の社会に与えていたか、というのを考察するもの。

まず彼女は仏教の世界観(須彌山中心の同心円的且つ多元的な宇宙論)の説明をして、地獄というのも何層にも分かれていて、「天国か地獄か」という単純なものではない事を示した。僕も多少はこの辺りを押さえていたつもりだったが、「金輪際」の語源とか、「三千世界」についての説明を改めて聞くと、自分の無知を恥じるしかない。
その後彼女は、図版を回しながら、等活地獄に始まる種々の地獄の説明をしていった。
一週間前はどうなるかと思ったが、まあ何とか発表の形にななっていたので安心したが、厳しく言うと、自分の意見がほとんどない発表だったので(色んな地獄の紹介記事で終わっていた)、その点はレポートで挽回してもらうしかない。
例えば絵巻物にはキャプションというか、文字情報もあり、主要なものは既に読解されているわけだから、そこからどのような「脅し」が読み取れるか、とか、当時の浄土教思想の特色(六道輪廻とか地獄行きを強調した宗派を調べる、という事だ)とかも調べる必要があるだろう。絵解きによって地獄の恐ろしさを強調し始めたのはいつか、というのも調べなくては(枕草子に、「地獄絵」という言葉があるので、少なくとも清少納言みたいな女房達にはあの時代に説かれていた事になろう)。
ともかく、まだ彼女が自分の問題設定を完了していない段階なので、これ以上は何とも言えない。もっと地獄について調べて、自分でもっと掘り下げたい部分を発見してもらうしかあるまい。
地獄を見るのは、これからだな。

ゼミ | 【2007-10-29(Mon) 22:49:24】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
戦隊ヒーロー達はフェミニズムの夢を見るか
今日の発表者はA部くん。彼の発表タイトルは「戦隊ヒーローにおける女性進出史―不動の赤と、変化するピンク―」というもの。しっかりサブカル研究してくれた。
「戦隊もの」と称される特撮のジャンルがある。「秘密戦隊ゴレンジャー」からスタートして30年の長きにわたって営々と続けられているシリーズだ(ゴレンジャーをリアルタイムで見ていた世代だもんね。僕。当時幼稚園くらいだが)。そしてモモレンジャーからはじまりこの戦隊ものには大体「紅一点」か「紅二点」のヒロインというか、女性メンバーがいるが、この30年、そのポジションはどのような変化を遂げてきたのか、どのような事がその変遷から読み取れるだろうか、というのが今日の発表のメインテーマ(だったはず)。A部君はちゃんとエクセルの表で、この30年のメンバーの編成とそのシンボルカラーの一覧表を作ってきた。これだけでも偉い。僕も、70%知らない番組だなあ。それに引き替え、所々で「それは○○マン(ジャー)でしょ」などと鋭く突っ込んでいたK浦さんは凄い。どこでその知識を得てくるんだか(笑)。

周知の通り(といえる知識がどうか不明だが)、この戦隊ものでは、赤は不動のリーダー色として用いられ(「赤」を欠いたメンバー構成はこれまで行われた事がない)、ピンクは基本的に女性の色としてずっと長らく使用されてきた。このような「役割分担」は、色彩心理学的にも、そこそこ説明が付く事が紹介されたが(赤は情熱、ピンクは母性とか)、よく見ると女性メンバーに、青や黄色が当てはめられる事もあるというのだ(具体的には、1991年の「ジェットマン」からスタートし、2002年の「ハリケンジャー」、2003年の「アバレンジャー」とか、間欠泉的にそのような事態が発生する)。A部君は、やはりこの分野の先行研究として屹立している斎藤美奈子さんの『紅一点論』の枠組みを借りつつ、日本社会における女性進出と、女性のカラーの複数化、ピンクからの離脱というのは相関関係にあるのではないか、との予測を立てたわけだ。勿論、簡単に実証できる類の設問ではない。彼は、女性の社会進出が声高に叫ばれた時は、複数の女性メンバーなどに意味が見いだせたかも知れないが、それがある意味当たり前となりつつある現在では、わざわざ女性を複数出す必要が感じられなくなりつつあるのではないか、という想定も提出した(要するに、特撮におけるアファーマティヴ・アクションの失効、という事)。

さすがに、こういうサブカルテーマだとみんな食い付きがよく、どんどん質問が出されて、僕としても面白かった。掬すべき意見と思ったものとしては、N山さんの「やっぱりセーラームーンみたいな女の子が前面出てくるグループものはどう捉えるべきか」というものや、K浦さんの「赤、といっても、非常時の戦闘色たる赤と、日常生活で女性と結びつけられる事の多い赤はちょっとニュアンスが違うのではないか」というのと、コメンテーターのHさんの「視聴率低下の原因はどの辺りにあるのか」という質問と(つまり、子供のニーズにどれだけ応えているか、という事)、本筋とは余り関係ないが、F原君の「ちばあきおの『キャプテン』みたいに、全く女の子が出てこない少年マンガがあるが、そういう問題とはつながっているか」というもの。特に最後のF原君の発言は、僕としては、リアルタイム読者として目から鱗。確かにそうだよなあ、あのマンガ。すげえホモソーシャリティだったのか?
僕からのコメントとして、「複数ヒロインの場合、どのような色のヒロインに、どのような性格が与えられたかを考察するのはどうか。子供用の番組だと、やはりわかりやすさを優先するために、おしとやかでロングヘアなヒロインの一方で、もう片方がショートヘアのスポーティなヒロインなんて事があるのでは?」とか「男4人、女1人という組み合わせは、ゴレンジャーが最初ではなく、アニメだがガッチャマンとかコンバトラーVみたいな「先行作品」があるから、できる範囲で、それらの作品で、ヒロインがどのような扱いを受けているかを見てみたらどうか」「戦隊もののヒロインの分類をしてみたらどうか。ただ単にお色気担当で終わるということもないだろうし、ヒーローの恋愛相手だったり、色々あるのではないか」「敵方の女性キャラクターの造形はどうか」などを述べた。

まあ、面白いテーマでその基礎作業は済んだので、これからは個別の話を深めて欲しい。

ゼミ | 【2007-10-22(Mon) 23:09:47】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
残虐になるには何が必要か?
えらく大仰なタイトルになったが、今日のK川くんの発表のネタは「戦争における残虐行為の原因」というタイトルで、例えば戦前の日本軍とかを中心に、どのようなメカニズムが働いていたかを考える、という主旨のものだった。
良く言われることだが、人間は拳銃を渡されても、人間に対してすぐさま撃てるほど「強くはない」ものである。要するに手も震え、標準も定まらず、弾は虚しく向こうへ飛んでいくものである。このことはデーヴ・グロスマンの研究が明らかにしているところである。であるから、「新兵教育」は、そのように人間を撃てないような優しさや自尊心を破壊することに心を砕く。旧日本軍のようにとにかく上官が部下を殴ったり、アメリカなら映画『フルメタル・ジャケット』のようにこれまた罵りまくり、軍隊的な脳味噌に「洗脳」したりするわけだ。このような心理学的機制は、上記のグロスマンや、数多の洗脳研究が明らかにしているところである(マインド・コントロールという点で、宗教学とも関わりがある分野でもあろう)。
K川君は、戦前の教育、日本のエリート軍人教育も重要な役割を果たしたのではないかと見て、その流れを追っていたのだが、友人からの批判や質問はここに集中した。すなわち、軍隊的な教育の長さと残虐さは比例関係にないこと(こういう批判がたくさん出てきたので、僕としてはびっくり。みんな成長したね)、残虐行為を実際にしたのは、徴兵された元一般人ではなかったのか、という問題だ。また、国家としても「中国人なんか殺してしまえ」と公教育の現場で教えたわけではもちろんない(修身や歴史の授業は、偏狭なナショナリズムと夜郎自大的な自意識の形成に影響したとは思うが)。
K川君の「心理学的側面」と「制度的側面」の二正面作戦は悪くなかったと思うのだが、やはり、教育制度によって、残虐行為に走る素地は作られても残虐さの直接的な原因は醸成されない、というところだろう。であるから、僕のアドバイスも、どちらかというと「心理的機制」を中心に見ていけば、という風に誘導的になった。戦後のPTSD問題も考えろ、といったのもその一環だ。残虐行為をなして帰還した兵士たちが精神の均衡を崩す、という問題は、どこにでもあったし、現在もイラク帰還兵に見られるようにそれは進行中である。というわけで、そっちの本もたくさん持っているから、K川君はこのブログを読んだら早めに僕の部屋に色々借りに来ること。

ゼミ | 【2007-10-15(Mon) 21:01:13】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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